★15:00 促進剤のレベルMAXへ
それなりに痛かったけど、
息吐いたり音楽聴いたりして
最初のうちは比較的上手に過ごせてたと思う。
これくらいなら全然耐えられるなーと思ってた。


★15:55 ムネさん東京から到着
最初の頃は陣痛の合間に余裕もあり
名前について話したりしてた。
ダンナ考案の名前が意外と良く
(というかまったくの偶然でほとんど似たような名前を考えていて)
それに決定できそうな感じで盛り上がる。

その後だんだんと痛みは増し、
お尻押してもらったり腰さすってもらいながらヒーヒー言ってた。
「痛い」っていう言葉をなるべく使いたくなくてひたすら我慢してたけど、
隣で痛い痛い言ってた若そうな女の子は最後に「産まれそう…」と言って分娩室へ行き、
盛大な悲鳴をあげ元気そうな赤ちゃんを産んでおりました。

「産まれそう」っていう感覚がちっとも分からない今の私じゃ分娩はまだまだ先だな…と、
痛みを堪えながらもどこか冷静に思っていたのがこの頃。


★17:30 促進剤投与終了
よく言う今日一日が無駄になるーっていう感じはあまりなく、
ああやっぱりポン太は明日がよかったんだね、くらいの軽い気持ちでした。


★18:15 夕食
たまに訪れる残痛に耐えつつ、
さすがの私でも全く食欲わかず。
ご飯も半分食べられたかどうか。
産む前に痩せちゃうんじゃないかしら…ってのは冗談にしても、やっぱり食べられないってのは辛いもんでした。
(ま、結局お腹すいて後からウィダーイン摂取したけども)


★20:15 ムネさん帰宅
痛みも7~8分間隔の軽いものにおさまってきたので、
父親が交代で行こうかと言っていたけど断りここから一人の夜。

途中、陣痛室にやってきた産婦さんが痛い痛い言ったのち分娩室でぶじ出産されてました。
一日で3人のベビーの産声(と、お母さんの悲鳴)を聞いた私。
マイペースマイペース、とは言い聞かせるもののやっぱり焦る気持ちも多少。
でもいくら私が焦ろうとポン太の産まれるタイミングとはまったく関係ないので、こればかりは。


そして夜中、
救急で運ばれてきた産婦さんがどうも重体でお母さんの身体を助ける(=赤ちゃんはもう難しい)ためさらに大きな病院へ救急搬送されたりということがありました。

なかなか出てこないポン太も、
お腹の中で元気ならそれだけでありがたいのだということを再認識しながら初日は眠りにつきました。