前回は「先祖供養と因縁」について書かせていただいた。

そして、

「天心聖教の先祖供養は神事であり、仏事による供養とは本質的に違う」

ということを申し上げたが、誤解のないように申し上げたいのは、けっして仏事による供養を否定しているわけではない。

 

「先祖を尊ぶ」という日本の習慣は素晴らしいことであり、私もお墓参りに行くし、親戚や知人が亡くなれば、もちろん葬儀に出来る限り出席し、故人のご冥福をお祈りする。

 

それは人間同士でも同じである。

離れて住む家族や知人友人に、ときどき挨拶に行ったりする。

また、再び会うことがないかも知れない、特別なお別れの時は、会を催して別れを惜しむ。

たとえ普段会っていなくても、「存在を忘れない」ということは、先祖でも人間同志でも、大切なことだと思うのである。

 

そのように、ご先祖様を思い、心を尽くすことは、供養する側である子孫の心として、とても大切であることは言うまでもない。
その心をもってご先祖様と相対するのであれば、どのような形であっても、ご先祖様は喜んでくださると思う。


しかし、「ご先祖様が救われるかどうか」ということは、また別問題である。

霊界で苦しんでいる先祖を救うことができる御方は、天の法則をご支配なさっておられる「宇宙絶対の神様」だけで、たとえどんなに偉い宗教家であっても、人間に霊を救うことは出来ない。


「天心聖教の供養は神事である」というのは、そういう意味であって、

けっして、お墓参りや仏事による供養を否定しているわけではない。

ということを前回の項につけ加えさせていただき、今回は終わりたいと思う。

次回は、先祖供養に関係する教えで、「助縁」ということについて書かせていただきたいと思う。