あなたも私もすばらしい。深谷志帆の「可能性の波紋を起こすブログ」

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自分の手で扉を開けて 自分の足で歩いていこう
大丈夫、あなたならできるよ。私にもできたんだから。

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このようにして両親や兄近所の人達そしてその他たくさんの人たちの愛情に包まれながら幼い私は目が悪いなりにそこそこ楽しい毎日を過ごしていましたこれって本当にありがたいことだなって改めて思います


近くにハンディを持って生まれてきたということはもちろん残念なことではありありますがでも


もし私が


何不自由なく生まれていたらこんな風に様々な場面で周りの人たちからの愛情を実感しそれに感謝するなんてことはあまりできなかったかもしれませんその立場になってみなければ気づけないことって


色々ありますよね私の人生を振り返ってみてもあの時あの経験がなければ今度秋月山ナビはなかったなと思うことがたくさんあります


そういう意味で私が目の見えない子供としてこの世にせいを受けたこともきっと意味があったんじゃないかな私はそんなふうに思います


そんな私に対して我が家の両親は危ないからといってそれを止めるようなこともなく私が色んな体験経験ができるようにいろんな形でサポートをしてくれていましたありにしても


せっかく友達と遊ぼうと思っているのに女の悪い妹がちょこちょこくっついて入っていたらきっと鬱陶しかったと思いますけれどもそれでもそれを拒否するでもなくなんとなく受け入れてくれていました少し大きくなって私にもともに遊ぶ友達ができた頃


兄にそれとなく最近お兄ちゃん私と遊んでくれないねと聞いたことがありました


その時の兄の答えはお前はもう友達がいるから大丈夫だろでした両親から言われてそうしていたのかそれとも兄自身の判断でそうしていたのかそれは分かりませんが素晴らしい絶妙な距離感ですよねあの頃の私はまだ幼くてそのことを理解することができませんでしたが


この子供心にも兄のそんな優しさがなんとなく伝わってきて胸が熱くなったのを覚えています


私は1970年宮崎県に生まれました生まれつきの視覚障害者ですただ小さい頃はまだ少しだけ視力が残っていて色とかあとは近くによれば人の顔がぼんやり見えるくらいの事は出来ていました


色が見えていた色が分かっていたというのは今思い出してみてもとてもこれはありがたい経験だったなという風に思います最初から見えない人っていう事に赤って言われてもそれがどんなイメージかってわかんないんですよねでも栽培小さい頃見えていた経験があるので赤と言われればこういう感じだな案はこうだなそれがわかることですごく世界が広がっているな文字通り彩りが加わっているように感じていますさてそんな私の小さい頃ですけれども


四つ上の兄の後ろにくっついて外を走り回り何でも兄と同じことができると信じている子供でした木登りをしたりブロック塀の上を平均台のように走り抜けたり


自転車に乗ったりとにかく何でもやってみたいと思っている子供でしたその結果切り傷擦り傷も変えなくて常に絆創膏とお友達そんな私でした


今日は深谷志保ですしばらくお休みをしていたこのブログを今度は声のブログとして再会することにしました私は盲目のメンタルコーチとして活動をしています私のこれまでの人生の中で経験をしてきたことそこで学んだことをこのブログを通じて少しずつアップしていきたいと思いますどうぞよろしくお願いします