タイトル通りです。結論から申しますと(あくまで小生の意見です)、どちらも悪いが、より悪いのは浅野内匠頭の方が悪いです。

 

 まず吉良上野介の悪い点ですが、それは少々、物欲が過ぎたのではないか、それに浅野を馬鹿にし過ぎたのではないかと、そう思います。吉良のいわゆる賄賂伝説は嘘だと主張する「吉良擁護派」の方もいらっしゃいますが、やはり賄賂伝説がまことしやかに囁かれる背景にはそれなりの根拠がある筈で、根も葉もない噂というのはあまりないと思います。「浅野擁護派」(忠臣蔵伝説絶対主義)の方がよく主張されるように、吉良が大名などの屋敷を訪れる度、部屋に飾られてある高価な掛け軸などをねだるので、吉良様が立ち寄られる際にはあまり高価な品は出さずに隠しておくように、といった意味の書状が発見されたとか。かなり生々しいだけにこの書状の信憑性は高いと思われます。もしかしたら吉良は浅野の屋敷を訪れた際、高価な品を目にしてしまい、それをねだったけれども浅野から(あるいは家来から)にべもなく断られてしまった…、そんな過去があるのかも知れません。

 

 そして何より、吉良は浅野のことを「田舎大名」とあしざまに馬鹿にしすぎたのではないか、そう思われてなりません。その理由は磯田道史先生の著作、「殿様の通信簿」を拝読し、なるほどと思った次第です。詳しく知りたい方は、是非、磯田先生のこの著作を読まれることをおすすめしめす。

 

 ですがやはり吉良以上に浅野の方が悪いに決まっています。浅野は二度目の饗応役です。この饗応役の出費は自腹ということで、初回は700両かかったそうです。その後、運命の二度目の饗応役、この折も700両で済まそうとしたそうです。ですが物価高により、最低でも1200両は必要なのに、浅野は700両で押し通したために、不足分を吉良と伊達が穴埋めしたそうな。これもやはり書状が見つかったそうですが、「浅野擁護派」(忠臣蔵絶対主義)の方は前述の吉良の強欲を証する書状の発見ほどにはあまり大騒ぎしません(当たり前ですが)。

 

 ともかくこれでは吉良が浅野に良い思いをする筈もなく、「いじめたい」と思っても仕方ない面はあると思いますが、しかし、浅野をいじめて饗応役をしくじらせれば、指導役である己の責になるわけですから、やはりいじめ伝説は伝説に過ぎないと思います。この辺りは井沢元彦先生の著作、「逆説の日本史14 近世爛熟編 文治政治と忠臣蔵の謎」を読まれることをおすすめします。

 

 それに百歩譲って吉良が強欲で、進物を弾まないといじめる人間ならば、裏を返せば出すものさえ出せばきちんと、いじめなどしないで教えてくれるわけで、そうだとしたら吉良は案外、御し易い人物だったのかも知れません。

 

 そして浅野の最大の罪…、吉良以上に悪いと思わせる浅野の最大の罪、それは何と言っても吉良を仕留められなかったことでしょう。

 

 浅野はwikipediaその他、諸々のサイトでも明らかなように儒学者にして軍学者でもある山鹿素行の教えを有難がっておりました。山鹿素行はこれまたwikipedia情報ですが、朱子学を批判してそれがために赤穂浅野家にお預けの身となったとか。つまり、時の幕府からしてみれば要注意人物、もっと言えばよく思われていない人物であり、その者の教えを有難がるとはどういうことになるか、少し考えてみれば分かりそうなものです。勿論、幕府より預かった者ですから、粗略に扱うわけにはいかないでしょうが、しかし、だからといってその者の教えを有難がるとは、これはもう、幕府に喧嘩を売っているのも同然でしょう。当然、幕府はカチンときた筈でしょう。この手の情報は幕府にも筒抜けの筈ですから。二度も饗応役という金のかかる役を申し付けられたのはもしかしたら懲罰的な意味合いも含まれていたのかも知れません。

 

 そしてその山鹿素行の教えを有難がって拝聴していた浅野がこともあろうに、吉良のような老いぼれ一人、討ち果たせないとは、小生としてはこれが一番の大問題だと思います。浅野は大名、立派な軍人です。その上、繰り返すようです山鹿素行の教え、いわゆる山鹿流の軍学を学んだ筈です。にもかかわらず、吉良のような老いぼれ一人、討ち果たせないとは…、しかも当日の松の廊下はこれももう有名ですが、当日の天候が悪く、松の廊下も薄暗かったとか。その薄暗い中、後ろから老いぼれ一人を襲いかかってこれを討ち果たせないとは…、刀は突くもの、刺し殺すべきところ、振り回すとは、もう軍人失格の烙印を押されても文句は言えないでしょう。山鹿素行もきっと、不肖の弟子に草葉の陰で泣いたことでしょう。戦国の気風を改めたがっていた時の将軍・綱吉はともかく、未だ戦国の気風を兼ね備えていたかも知れない老中などがもしかしたらこれを問題視したのかも知れません。これは小生の完全なる妄想と思っていただきたいのですが、浅野を即日切腹にと考えたのはもしかしたら綱吉ではなく、老中方だったのかも知れません。老いぼれ一人討ち果たせないとは、これはもう、武人として失格であると、即日切腹をと、綱吉に上申したのかも知れません。それに対して綱吉は自身が戦国の気風を改めたがっていたこともあってか、いやいやそんな乱暴なことは…、と反論したけれども、老中方の強硬な意見に押されて止む無く…、あるいは浅野を切腹にしないとご母堂・桂昌院様の従一位を逃すことになるかも…、などと綱吉のウィークポイントを適確に突いて綱吉をうなずかせたのかも知れません。