イマココ本気!イマココ全力ブログ

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前後際断。過ぎた過去や、未来を心配しない、今ココの瞬間を全力で生きる。
「できる事」に集中して生きる!自分と誠実に向き合う。
私の自分自身との約束を守る過程を記録するブログ

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為去聖継絶学


私の誕生日に暖かいお祝いのお言葉をいただきまして、本当にありがとう
ございます。
皆様方の暖かいお言葉、支援に感謝しご期待にお応え出来るように
命の時間を使って継続してまいります。




私のテーマは、「為去聖継絶学 為萬世開太平」です。 

意味は、「去聖のために絶学を継ぐ 万世のために太平を開く」という意味です。


すでに亡くなられた聖人期待に応えようと、すでに途絶えてしまった学問を継承し、
この後、何世代も続く世の中の平和のために貢献していきたい。


終戦の詔にある「万世の為に太平を開く」は、

「天地の為に心を立つ、生民の為に命を立つ、往聖の為に絶学を継ぐ、万世の為に太平を開く」
の結語であり、安岡正篤師がここから採用しました。


■この言葉の作者
 張横渠(ちょうおうきょ)

北宋の儒家。1020-1077年。
本名は張載で字は子厚、横渠は号である。
宋学創始の一人で、気を万物の根源とするの気一元論・太虚説を唱え、宇宙を一箇の生命体として捉えた。
若い頃に兵法を好むも、范仲淹に中庸を与えられて学問に打ち込み、38歳にして進士に及第。
地方官を歴任して中央に召されるも、王安石と合わずに晩年は家に居て読書と思索に明け暮れたという。
享年58歳。

横渠というのは自らつけた号ではなく、若い頃と晩年に住んで講学した地名が陝西鳳凰府横渠鎮であった
ことから人々が横渠の先生という意味で横渠先生と呼んだことが由来だとされる。


兵学を修めて功名に心を馳せていた若き張横渠に出会った范仲淹は、その志を戒めるために中庸を与え、
まずは道を学んで己を修めることの重要性を説いた。
これに感悟した張横渠は一転して求道生活に入り、自己を大成させたという。


張横渠の有名な言葉です。
張先生は朝廷から召されても自分の主義主張と会わなければ
「病気」と称して応じなかったという硬骨の人でした。

その教えは王陽明や日本の陽明学徒の大塩平八郎にも影響を与えたといわれております。
ここ一番では自分の主義主張を曲げない、ということが大切です。
それが張先生の真骨頂だったようです。



■本文はこちらです。

為天地立心 為生民立命 為往聖継絶学 為万世開太平


「天地のために心を立て、生民のために道を立て、
去聖のために絶学を継ぎ、万世のために太平を開く」


自分は何の為にこの世に生を受けたのか?また、何を成すためにこの世に生を受けたのか?
という「人」の生きる道について書かれている。

安岡師が最も大切な行いと伝えていたのは、「去聖のために絶学を継ぐ」の部分。

「過去の偉人の教えを後世の人のために遺す」という大業のことです。
現代の我々は歴史上の偉人の教えはいとも簡単に紐解くことができますが、
過去の偉人は資料集めだけではなく、要訳することも難解であったと思います。
実に手間隙をかけた作業の繰り返しで、内容によっては何代もかけての大作業だったと思います。

特に人間の生き方について、我々は後世に素晴らしき生き方を伝える役目が
あるはずです。実った果実を与えることもさることながら、どのような生き方をすれば
実り多き人生(果実)を歩めるかということを伝えることが大切です。
いや、自分には実りがなくとも伝えることが大事なのです。

克舟の「去聖」とは?「絶学」とは?
それは古今東西の偉人だけではなく、市井の人も「去聖」であり
その方たちから学ぶことが「絶学」と肝に銘じようと確信する次第です。


誕生日を機に心機一転、ここ5年ほど取り組んでいるテーマをネットからかき集めて
整理してみました。


この言葉がカッコいいと思い、感じ行動してきましたが、やはり何度読んでもカッコいいです。
五年間の活動ではありますが、未だにどれも形になるも日の目を見る事ができない

没案ばかりが積み重なっていく有様ではあり、周囲の方にはご迷惑ばかりの日々です。。。
なので、家族、社員さんなどの近親者には迷惑かけないように考え方を変えたりしましたw


しかし、その逆に私自身は、ぜんぜん消耗も、疲弊もしていません!!!無問題w
人生は不思議なもので上手くいくと作業感を感じて重荷と苦痛なのですが・・・。
これだけ不具合あると、成長と挑戦しか選択史がないので逆に解放されるものですね。


まさに、徐々に鍛錬を積み重ねていると実感しています。
没でも、廃案でも、頓挫でも、必ずゴールを放つところまで、「着地させるまで!」と
内容のある「継続」を徹底しています。。。

この100の失敗が1000の失敗になる頃には、大業も果たせるのかな?wと
夢をクワダテてつつ、日々にワクワクして過ごしています。

心身の健康に恵まれ、家族に恵まれ、隣人に恵まれ、業を為す能力に恵まれ、物質経済に恵まれ、
楽しい時間に恵まれている事に心より感謝です。

積み重なり、折り重なることが重荷と感じていた自分が、
無駄、徒労ともいえる空転する日々が続くこともありますが、成長の手ごたえを実感しています。

ツナガリの絆を深めながら、個々の夢を解放していく。


一番分かり易い成果は、本業力を高めながら、事業が急成長させることかな?

もちろん、そのためには、それ以外の取り巻く全てが解放されて満たされていないと
意味もないし、原理原則に反したものになるので継続不可能なものになる。。。


そんな生涯のことを2013年の誕生日の本日考えてみました。


「敬天愛人」

只是 前念不滞 後念不迎
只随縁得去 自然漸漸無入

為天地立心 為生民立命 為往聖継絶学 為万世開太平

   コレでいきます!

何の為に生を受け、何を為すことの意味を与えられたのか?
生み出してくれた両親と、神と、受け皿となってくれた社会に感謝し、
ご恩返しできる人生を生きるためにモガきたいと思います。

これらの言葉を公に宣言するのは、とても勇気が必要です。
そもそも私は、よい人間でもなく、碌でもない人間です。
師匠や巨匠やらおおよそ人の見本になる器でもなく、徹底もできない人間です。

しかし、先人のこの言葉に触れ、奮い立つ思いが湧き上がりました。
それは聖書にある言葉と同じだったからです。

古きよき教えを守り、自己の才能や能力などの時流に頼った生き方や思考を止めて
先人の教えや、聖書の教えを真っ直ぐ伝える「管」のような人なろう!
と思って行動しています。

たとえ私がよき人間でなくとも、よき人間になる為に努力し、研鑽していきます。
たとえ、この世によき人間が増えなくとも、よき人間になろうと志す人間が
増えれば、この世はもっと夢と希望が持てるようになる!
よき人間になろうと志す人が増えれば、世の中の闇に光があたる。
自分自身が一隅を照らす人となり、そんな人たちたくさんいる町であり、国であり、
世界になる為に活動したい。
ついでにその活動が、周囲や国家の財政を潤すことができたら更にハッピー!

そんな風に思っています。


暖かいメッセージをいただきましたご縁ある皆様
本当にありがとうございます。

これからも末永くよろしく御願い致します。感謝!!