3月12日(金)

今日は娘の中学卒業式。

とっても良い卒業式だった。

式典後の最後のホームルームも保護者見学OK。

子供達と共に卒業…定年退職する女性担任に向けて、
子供達は花束と歌をプレゼントした。

クラスにとって想い出深き歌。

いきものがかりの『YELL』。

娘は鳴咽入りの号泣。

ビデオを撮る私は、自分の頬を流れる涙を拭うことも出来ず、
娘の思いのたけをおさめた。

高校生になって…髪を染め、化粧をし、帰宅時間が遅くなり、
自分ひとりで生きていると錯覚するような時期がきたら…

このビデオを見て娘の帰宅を待とう…

この純粋な歌声を響かせながら娘を迎えよう…

そんなことを考えながら…。



もうひとつ…

学校側の粋な計らいで、
受け付けの際、しおりとともに
「お子様からの手紙です」と封筒を渡された。

綺麗な和便箋に、鉛筆で書かれた娘からの手紙。

ちらっとみたら、
いつもは殴り書きなのに、これはやけに丁寧に書かれている。

その分、心から伝えたいとの気持ちが込められている…
親バカな私は勝手にそう思う…。

今は読めない。

だから午前休みをとり、一緒に式典参列した旦那に…
まずは読ませる。

体育館に並べられたパイプ椅子…
旦那の座る椅子が小刻みに揺れる。

込み上げるものを必死にこらえているのだろう。

私は気付かないふりをしてあげた。

帰宅して、打ち上げに向かう娘を送り出した後、
一人静かに手紙を開封。

そして…
私はこらえることなく存分に号泣した。

旦那にも秘密の…
娘と私だけの辛く苦しい思い出…
自らの力で乗り越えて…
いや、本当はまだ乗り越えてないかもしれない。

これから先も…フラッシュバックして娘を悩ませるかもしれない。

でも乗り越えようと…立ち止まらず進もうとする成長の姿が
手紙から見て取れた。

記念にここに記しておこう。


…………………………


私は両親を誇りに思っています。
手紙だからいえること…
パパとママは私の自慢の親です。
二人の間に生まれてこれた私は幸せ者です。

ママにはいろいろと迷惑もかけてしまいました。
ごめんなさい。
ママは理解あるワイルドマミーてす。
いっぱい支えてもらいました。
とても感謝しています。

次にパパ。
私のことを大切にしてくれる私のパパ。
いつも、くさいだとかハゲだとか言っちゃってごめんね。
でも、それは私のため…家族のために一生懸命働いてくれているからって知ってるよ。

二人にはとても感謝しています。

もちろん、こうちゃん(注・兄)やサスケ(注・犬)にも。

私はこれで9年間の義務教育を終えます。

9年間ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

家族のみんなへ
三月十二日


……………………………


昨日、子供の卒業式を目前に…
娘の同級生のお父様が急逝された。

その子はクラスで一番優しい男の子。

今日は一人でしっかりと参列していた。

何日前かに書かれただろう家族に向けての手紙。

まさかこんなことがおこるとは思わずに書いていただろう。

でもそれはきっと遺された家族の生きる糧となる。

そう信じて…
学校の先生方、
そして一人一人の子供達に…

感謝。



娘には…

こんなダメママの元に生まれてきてくれて…
本当にありがとう。

魂を浄める涙を流させてくれてありがとう。

なにもいらない。
あなたが元気でいてくれたら…。

あなたはママの宝物だから!\(o^▽^o)/

まだまだこれからも試練は沢山あるよ。

でも逃げずに立ち向かうほんの少しの勇気があるのなら
必ず乗り越えられる。

乗り越えられない試練は神様は与えない。

だから…良い事も悪い事もいっぱい経験してほしい。

それはけして無駄にならないから。

もし…一人立ち向かうパワーが不足している時は…

いつでも力を貸すから。

引っ張ったり、背中を押したり、見守ったり包んだり…

いつでもママが…
家族が
そばにいるから。

だから…あなたは安心して飛び立ちなさい。

広い空に向かって…。





Loveドキドキ



歳を取りました。(´Д⊂グスン



誕生日の近くはバイオリズムが下がるようで
毎年具合が悪くなったりします。


一番思い出深いのは…
23歳の時でしょうか…。


その頃たしなんでいたのがサーフィン。

真冬でも海に入っていました。

あれは誕生日の前々日…

その日は朝一で海に入り出勤。

深夜帰宅になった私は、自宅の1階キッチンでラーメンを作り、
2階の自室で電気ストーブを抱えながら食しておりました。


今考えれば怖いことです。

深夜2時…こってりギトギトのラーメンだったのですから…。

少なくとも胃腸も代謝も、今より良かったということでしょう。

ヽ( ̄▽ ̄)ノVIVA!YOUNG!


……"<(ー_ー;)で、不幸はこの後に起こりました。


お腹も心も満たされた幸せ気分の私。

それでも無謀な夜食に多少の不安感があったのでしょう、
わずかですが汁を残しました。

片付けなければ朝に母から発射されたテポドンが落ちる…。

そのまま寝入りたい気持ちを押さえ、奮起した私は渋々立ち上がりました。

その途端…

「あれ?(・・?)」

何か体に違和感を感じました。

しかしそのまま階下へ…。

階段を降りきった途端…

私の下半身は自分のものではなくなっていました。

ヘナヘナ…

その場に崩れ落ちました。

もちろん瞬間的にドンブリの中の汁をこぼさないように腕のバランスは保ち…

だからとてつもなく不自然な体制でした。

でも自分の身よりラーメン汁がこぼれなかったことに安堵して笑みを浮かべる私…。

どれだけ母が、私にとって強敵だったか…
わかっていただけるでしょうか?


ともかくキッチンまでこのドンブリを運ばなくては…


その状況を例えるのにとても的確な映画のワンシーンがあります。

貞子登場の場面(>ω<)。

想像してください。

暗闇の中、髪を振り乱し廊下を歩伏前進する姿…

一つだけ違うのは手にドンブリ…f(^ω^;。


流しの淵に片手をかけ、渾身の形相で体を持ち上げ
無事シンクにドンブリを…。

寝静まった家族を起こすのは悪いと思った私は、
またその姿で階段をはいずり上がり自室へ。


ここで初めて自分の体の異常を痛感しました。


下半身に力が入らないだけでなく、
腰に激痛が…。


腰部椎間板ヘルニア…

はい、簡単に言えばギックリ腰です。


次の日、免許をもたぬ母の愛車…
ママチャリの荷台にくくりつけられ行った病院で判明しました。


ただのギックリ腰と安心しながらも
泣きながらぶっといブロック注射に堪え、
叫びながら再び自転車の荷台に乗せられ帰宅した後…

((((;゚д゚)))第二の不幸が…。


母が洗って持ってきてくれたスエットパンツに着替えた途端、私に訪れた不快感…。


☆(/ * o*)/痛!


思わず脱いだスエットの中から飛び立つ物体…

はい、蜂でした。


みるみるうちに私の膝は2倍に膨れ上がり…。

母は笑いました。
「まさに『泣きっ面に蜂』だね」と…。


「o(`ω´*)o最低!」

洗濯物を取り込む時に蜂を払い落としていなかったのはおかあさんじゃないか!

母に怒りを感じました。



でも今…考えると…

23歳にもなる腰抜けのデカイ娘を自転車の後ろに乗せ、
ふらつきながらも脇目もふらず病院まで運んでくれた母…

楽な服のほうがよいだろうと、愛用のスエットを急いで洗って乾かしてくれた母…


考えてみれば、あの時は今の私と同じくらいの年齢だったはず…。


若くして私を産んだ母…

まわりから馬鹿にされないように人一倍厳しく私を育てました。

それを愛情のない人…と評価していた私。

「愛されていない…」

思春期の頃は悩み嘆き反抗したりもしました。


でも今ならわかります。

不器用ながら私をいっぱい愛していてくれたと…。


だから今年の誕生日は
私を生んで育ててくれた母に感謝する日…


…にするはずが、留守録に入っていた母からのBirthdayメッセージをも無視して
遊びに行ってしまいました…。

いまだに親不孝してます…"<(ー_ー;)。

反省…。


書いてみようかな…。



何の記念日かって?

愛する大将のBIRTHDAYラブラブ



ちなみに昨日は21周年の結婚記念日だったけど…

今の私にとっては今日の記念日のほうが大きかったりして溿ドキドキ



…ってね、本音を言えば、活動中でありながら休止中のような今の状況…

寂しさのあまり、心がXの存在を排除しようとしている…。



昔からそうなんだよね。

去って行っちゃうかも…って思うと、
傷つきたくないから先に去ろうとしてしまう…。



『トラウマ』…。



21歳で経験した出来事が、今でも私に影響を与えている。



そんなことも そのうち書いてみようかな…。

残していこうかな…。



私だけの呟きを…ここに…。