かつてのドラマや映画の存在意義は、作品が人々の生活の隙間を縫って入り込んでいるなかでそうした人々の間での感情の「共有」をもたらすことだったのではないか。その一方で、最近ではコミュニティの希薄化もあり感情の共有ではなくて感情の「代弁(解放)」こそが作品の意義であるように感じる。


であるとすれば、声優としての仕事の本懐は人々が日々隠したりごまかしたりして大っぴらにはできない本当の気持ちや思いを、声優自身が大げさに演技することで代弁してあげることだ。


泣いたり、笑ったり、怒りをぶつけたり、生きるのが嫌になって狂ってしまったり、甘えてみたり、甘えてみられたりしてみたり。本当の感情を、アニメでも映画でもいいけれど、それらは解き放ってくれるのだと僕は思うしそれが何よりの価値なのかもしれない。


思想的な価値だとか、歴史的な何だとかもあるけれど、やっぱり「面白い」と感じさせるのはそういった「感情を揺り動かせる」ものだけだ。


テクノロジーの発展の目覚ましい現代社会にあってはつい置き去りにされがちな事実かもしれないが、結局僕らもアニマルにすぎないわけで、誰かに分かってもらいたいということなのだろう。


考えてみれば、界隈では「表現者」と言ってしまうのだけれど、自己表現というよりかは他者表現であり脱自己であるべきなんじゃないかと思う次第(偉そうな言い方ですみません)。とは言え、表現できるのが自己自身である限り、どこまでも自分という(ある種の)壁が立ちはだかるのではないだろうか。と身につまされてならない日々です(とってつけたように)。