「旅立ちだー。}
「いよいよ、ハバロフスクを出発」
(シベリア鉄道スタート)
23時30分。予定どおり自分の列車が
ハバロフスク駅を出発しました。
列車は海沿いを通っています。
何隻かの小型漁船が港の明かりに照らされて、
黒く白く光り漂っています。
見た目、北の海に来たんだなと
ちょっと感傷的になります。
9号車の自分の部屋には、
先にロシアの親子が先に乗車していました。
息子さんは、井上康生リオ・オリンピック柔道監督に似た人で
自転車を通路から天井脇の棚に持ち上げて、
載せてくれました。「ありがとう。」
ロシア語が全然わからず「スパシーバー」も出てこない。
でもその青年が英語を
少し話すのが後でわかり伊妻は助かりました。
今回の旅行で一番気を付けることを考えていました。
それは自転車の安全確保でした。
それは安全に傷つけずロンドンまで運べるか、
または利用できるかということです
だから自転車の管理は自分なりに大変気を使いました。
バイカル湖を日中の通るように、
最初の宿泊地はウランウデ市です。
それまで9日分の食事を列車でいただきます。
熱いお湯が使用できるのを案内書で知っていました。
(作草部のヤックスで売りだしていた日清のカップ麺の
ノーマル、海鮮、カレー,リッチとまるちゃんのカップ麺、
インスタントみそ汁を用意します。)
ほとんどのロシア人がカップ麺かカップポテトをもっていました。
そして、パンに、ハム、レタス、卵、トマトなどを
サンドして食事をしていました。もちろん大きなマグカップで
スープやコーヒなどもつくって飲んでいます。
列車が止まります。時間調整か、交換なのかわかりません。
(列車は二車線あります。)
その時にホームにあるスタンドで調達するか、
自家製の食べ物を用意した売り子から買うかです。
ロンドンまでの列車代と3泊するホテル代と
ビザ(ロシア、ベラルーシ)代と連絡調整等を支払いました。
列車の中の食事代は含まれていません。
12日でロンドンまで行くのに日本円を
ルーブル(ロシアの通貨)に兌換して用意しました。
だから持ち物の中にカップ麺を入れたのはそのためだったんです。
ひじょうに活用しました。
できるだけお金は使わないで、
食堂車も使わないで過ごそうと考えました。
旅行に出る前に、知り合いの女性に
「ヨーロッパに旅行するんだけれども、お金がない。」
と話したことがありました。すると知り合いの女性は
「お金は、使わないで見るだけにすれば、いいんだよ。」
と言ってくれました。
なるほどお金を使わなければいいんだ。
理屈でわかっていてもそれを実行することはなかなか難しい。
レートはメモ書きしてあってもいちいち計算は面倒でしなかったです。
井上青年が英語を話すとわかり、がぜん伊妻は、元気が出ます。
彼は貿易の仕事をしているそうです。
取引相手は中国だそうです。
だから仕事の関係で中国人と多く話すそうです。
彼は質問してきます。
「中国の人は、日本人となぜ仲良くないのか。」
「一言で言えないけれど、歴史的な背景があります。」
私はいくつかの事例を出して彼に説明しました。
簡単な単語で言いました。
何となくですが彼は分かってくれたようです。
私は彼に一つ質問をしました。
「英語はいつどれくらいならったのですか。」
「私は高校のとき週1回英語が話せる先生が来て1年間習いました。」
「ありがとうございます。」
「ガガガガーン。」ロシアの井上青年はたった1年間英語を習い、
大学では専門科目だけであるそうです。
それに比べて、私は中学3年、高校3年、大学では2年計8年
やらせてもらいました。話してみるとどっこい、どっこい。
再び「ガガガガーン。」会話ができない伊妻。単語を知らない。
やったのに出てこない。
だから自分に対してデスアペアー(失望)
ノットサテスファイ(満足できない。)
話したい気持ちはあるのだけれど
ちょっと尻込みしてしまう自分に腹立つのり。
(監督ご苦労様、次は阿部さんだね。)