《ピョートル•チャイコフスキー 1840~1893

ロシア》


第4交響曲を発表してから、第5番を発表するまで

何と10年もかかっています。


1888年5月

「私は交響曲の材料を少しずつ集めたいと思っている」(弟に宛てた手紙)

6月

「はじめは困難でしたが、インスピレーションがわいてきたようです」(篤志家への手紙)

8月

「半分までオーケストレーションを済ませた。

私は、それほど老人ではないが、年齢を感じ始めました。」

8月26日 完成!

11月17日 チャイコフスキーの指揮で初演

聴衆は喝采したが、批評家の評判は、よくなかった。

12月

「私は、あの曲を3回演奏してから、失敗作であるという結論に達した。あの曲の中には、大げさに飾った色彩があり、こしらえ物の不誠実な飾り物があると感じるのです。

批評家が言うように、私は枯渇してしまったのでしょうか?

第4番のほうが、何と優れていることでしょう。」


1889年3月

ハンブルクの演奏会で、団員たちに褒められ、

聴衆の反応もよかった事から、

「私は、この曲を、非常に低く評価していたが、以前よりも、好んでいる」


内向的と言われるチャイコフスキーです。

褒められて伸びるタイプなんですね。


死を覚悟した友人のお見舞いに行って人生について考えたり、不安定なロシア情勢に反抗する気持ちを表した曲とも言われています。