
若い頃、稽古場で年末になると、師匠が大根の絵の茶碗や俵型の茶碗をお出しになっていたのを思い出して、夜咄の茶事に俵型の茶碗を出してみました。
ひとつは真清水蔵六の俵型で、箆目もくっきりと手持ちの感じもけっこうな、さすがの職人芸の造形。
もうひとつは、おせじにも上手とは言いがたい出来ではありますが、掌の中に収まる、ちょっと可愛いような茶碗。
分厚いので、温めるにも時間がかかり、やっと薄茶を点てると、待ちかねた(?)お正客もその茶碗を気に入っていただけたようでした。
箱書は判読できないので、どこかの数奇者あたりが造ったのではないかと想像しています。
武骨であるのに、捨てがたい魅力のある茶碗、というのがありますね。
俵型の茶碗には、升形の高台がついているのを、点前をしながら、筆洗型の茶碗に似ているなと感じました。
俵型茶碗には、楕円形の形や升形の高台など、きまりがあるように思えたので、もとになった俵型の茶碗があるのだろうかと気になったのでした。
茶事が終わったあとで、インターネットで俵型茶碗で検索してみると、売り出しの画像ばかりで、なかには、筆洗型のような縁に段差のあるような俵型茶碗もありました。
筆洗型の茶碗といえば、信楽の花橘しか知りませんので、個人的には花橘が筆洗型の本歌だろうなと思っております。
いくつかのブログやコラムに、茶碗の縁に切り込みが入っている器は、中国、高麗にも散見できるそうで、萩焼の古い茶碗にもあるそうです。
遠州が、信楽としては珍しい茶碗、花橘を愛でたおかげで、のちの切り型、筆洗型ができたのかと想像します。
俵型と筆洗型の形状の近似性に関しては、浅学のうえ寡聞の身には、うかがったこともありませんが、筆洗の形から俵型がバリエーションとして造形されたような感じがしています。
俵はお米の国日本には、誠にふさわしいものです。筆洗の切り高台を升形にしたところも、俵からお米を取り出す枡にぴったりだなあと思いました。
俵型の茶碗の歴史には、さっぱりたどりつけませんでしたが、自分なりの解釈ができたので、よしとしましょう。
おそまつさまでした。