振り返ると目の前には大きな空洞があった。
今思うと、誰かの要望に応えることが人生の行動指針だったと思う。
少年野球チームに入ったのも、頼まれたからだ。
ロードバイクを始めたのも、希薄だった父親との繋がりを作ってあげたかったからだ。
誰かの要望に応えようとするばかりで、俺自身の要望なんてほとんどなかった。
だから当然、他人の要望に応える手段そのものに情熱がなかった。
学生時代から自己分析が嫌いだった。
それは無意識的に、背後にある空洞を察知していたからだろう。
正面に見据えた今だからわかる。
それは承認欲求に基づいた行動を差し引いた時にできたものだ。
その大きさは主体性の欠落を意味していた。
数年越しにそれと向き合っているが、
ここから得られるものはあるのだろうか?
この一年で自分が平凡にすら及ばないことを痛感した。
頭の回転が遅いし、器用でもない。
コミュニケーションも上手くない。
一般常識も持ち得ていない。
何の取り柄もない!
誰かの要望に応えられた
これまでのそんな感覚は錯覚だったと思わせるほど、
今や自分に期待できない。
むしろ、いないほうが助かるとすら思う。
この空洞と向き合うのは疲れる。
一時的に視線を逸らすことは簡単だ。
テレビを見れば、音楽を聞けば、漫画を読めば、
視線だけは逸らせる。
でも体の向きはもう逸らすことができない。
いつだって正面には空洞がある。
視線を逸らし続けるのには無理がある。
じゃあどうする?
考えよう。
いいや、行動こそ正義!
考えなしじゃダメだ。
じゃあ、考えよう。
いいや、行動こそ正義!
わかった!「ある程度」考えたら行動しよう!
それがいいね。ところで、「ある程度」ってどの程度?
じゃあ、それを考えよう。
え、結局考えるの?
空洞の側で、
残骸たちはいつも同じ話をしている。
何者にもなれないまま、
時間だけが過ぎてゆく。
今日の一曲
書き終えた時に脳内で流れた。
