今日は8月15日。
終戦記念日です。

朝から終戦についてのニュースが
放送され、
テレビ番組なども午後から
多数、放送されるようです。


今日は、
3日間に渡ってお伝えしてきた
私の祖父のまた別のお話を
書きたいと思います。

これで終わりです。

カチンコ


私は祖父が大好きでした。

強くて優しくて、いつでも前向き。
還暦過ぎても三点倒立ができる
体力自慢のおじいちゃん。

絵も上手で、
子供の頃の私と妹に
よく絵を描いてくれました。
祖父は動物が好きで、とくに馬が好き。
馬の絵を、背中から脚にかけて
見事な曲線で立派に描きあげたあと、

ウマのお尻に「プゥ~ッ」
という文字。

笑わせることも決して忘れない
楽しいおじいちゃん。
私も妹も声をあげて笑いました。



その、大好きで面白いおじいちゃんを
イジめる
悪いやつがいました。


曾祖父です。


祖父は養子でしたので、
曾祖父の娘(私のおばあちゃん)の
お婿さんという立場です。

祖母とは戦争から帰ってきて出会い、
結婚ということになりましたが
祖父は、
いわゆる昔でいう
「お侍様」の家系に生まれ、
8人兄弟の末っ子。
実家はそれは立派な門構えで、
お庭には池や果物の木がたくさんあり、
お座敷には刀も飾ってある、
そんなお屋敷でした。

曾祖父はそんな祖父の実家の家柄も
妬ましかったのでしょう。

また曾祖父の実子(長男)は
特攻隊の志願兵で亡くなっています。
かたや祖父は戦争から生きて帰ってきた…

どちらかといえば
そのことの方が妬みの原因として
値することかもしれないですね。

婿いびりは凄まじいものだったそうです。

何をされたか、当時小さかった私は
知るよしもありません。

ただ、曾おじいちゃんが、
おじいちゃんをイジメている、ということは
なんとなくわかっていました。

しかも曾祖父は道楽好きで
遊び回ってばかり。
旅行ばかりしておりましたので、
私は曾祖父が大嫌い。

ある日、困らせてやりたくて、
寝たきりの曾祖父のベッドへ行き、
トランポリン。
妹にも命令して付き合わせました。

「やめんか、こら!」

寝たきりのくせに
いっちょまえに手をふりかざし、
私と妹をベッドから振り落とそうと
していますが落とせません。

ざまーみろー

という思いでしたね。

眼鏡を隠したこともあります。
(なんちゅう悪ガキ…)

そして曾祖父にした私のイジワルを
祖父に自慢気に報告しに
行っていたのでした。

祖父は苦笑いしながらも
「fujiko ちゃんだけが、わしの味方や~」

と、にっこりして頭をなでてくれ、
自分で作った
イナゴのハッ甘辛煮を私にくれたものです。


いじわるな曾祖父は私が小学1年生の時に
94歳で亡くなりました。
当時としては大往生だったのではないかな?
老衰です。

特に悲しくはなかったです。
むしろ、
これでいじめられていた
おじいちゃんが楽になれる、
という気持ちの方が大きかったと思います。


火葬場の煙突からあがる煙は
よく覚えていて、
その横で当時学校の音楽で習った
歌を楽しそうに何度も繰り返し
唄った記憶があります。
(ほんとに私は…
なんて子だったのでしょう…汗)


今思えば周りからは
ただの無邪気にうつったでしょうね。



曾祖父が亡くなった時、
祖父はどんな気持ちだったのかしら。

戦争が終わり、飛び込んだ家には
イジメというまた違う戦争があった。
曾祖父が亡くなった日は
二つ目の戦争が終わった日、だったかも
しれないですね。


おじいちゃん、会いたいです。
南太平洋の海に、
仲間のもとに帰ったであろう、
私のおじいちゃん。

亡くなって17年たちました。
ひょっとして生まれ変わってる?
まだ早いか?

輪廻転生を信じる私。
生まれ変わったのなら、
今度こそ幸せな時を送ってくれているかしら。

「わしは自然が好きや~、
動物も好きや~」

そう話していたおじいちゃん。
自然か動物になった?

もう生まれ変わったの?
だとしたら、
どこにいるのでしょうね。





祖父とは縁があると思います。
すぐそこにいるんじゃないかと
思うのですが…キョロキョロ






まさか、、ね…びっくり



今度こそ
おしまいカチンコ