こうやってブログで
過去のことを書いてみて気づいたことがある
私が過去に経験したと思っていることは
虐待だったのでは、ということだ
だけれど、私がこうして記憶としてありありと思い出すこの光景は「事実」とも異なるのだろう
実際は違っていたのかもしれない
悲観的に記憶しているのかもしれない
よく泣いていると「悲劇のヒロインぶるな、おおげさ」と母に言われた
だから、助けを求めることも難しかったし、客観的に見てどうかは不明だ
外で泣くと怒られたし、その後が怖かった
泣いてしまうと
「うちのこ泣き虫でおおげさなんです」
と母は笑顔で言っていた
実際はどうだったのだろう
でも、今ここで重要なのは
私がこの記憶によって体験している光景が虐待だと、私が認識したことだ
あまりにも日常的すぎて、今まで気づかなかった
自分が子育てしてみて
自分の子どもに抱く感情と
母が私に抱いていたであろう感情が異なることに気がついた
違和感がたくさんわいてくる
あれ?私、すごく蔑ろにされてきた?と
だけれど、母に優しくしてもらったこともある
95点以上のテストを持ち帰ったとき
賞状をもらったとき
お手伝いをしたとき
父や姉の愚痴を聴いたとき
母の思い通りに振る舞ったとき
母以外の誰かに攻撃されたとき
母の意にそぐわなければ、私の平穏は奪われる
だけれど、比較的上手くたちまわれたし
かいくぐってこられた
常に居場所のなさと心の中心線を張りつめさせてやってきた
私の日常に虐待が溢れていたわけではない
けれど、私の日常にはいつも虐待が息をひそめていた
恐怖が私の心を支配していた
母にはたぶん、虐待の自覚はない
私だって今になってようやく被虐待を自覚したのだから
物理的に殴られ続けることだけが虐待ではない
じわりじわりと心を侵食する虐待もある
母は私を愛していたかは分からない
たぶん、なにかしらのかたちで
偏りながら歪めながら、愛そうとしてくれたのだろう、と思いたい
私はそれを愛と受け取れなかった
健全な信頼関係や愛着関係を築けなかった
私は自分の子どもに愛を素直に伝えようと思う
毎日「愛してる」と言うしハグもたくさんしている
どんなに愛を伝えようとしたって
受け取る側によって、様々だけれど
自分の子が幼少期を振り返ったときには
温かい気持ちになるといいな
と思ったりする
そのためにも、「虐待は日常にひそむ」ことを心にとめつつ、あっけらかんと楽しく暮らしていこう