最近、めちゃくちゃ暑い🔥

ふと駅まで歩きながら、ふと工事している作業着に目をやると扇風機がついた服。最近よく見かけるようになった。 

 子供の時なんて見たこともないような作業着。一体どこのドヤつが開発したのかと素朴な疑問が湧いてきた。

調べてみると世界でも注目され、観光客も買って帰るそうな。 

▼参考ニュース
https://youtu.be/tgvhPYqSHkI?si=tlvv7r0cKhtCtixD


 

 実はこれを開発したのは1人の日本人。
市ヶ谷弘司さん。どう言う経緯で開発に至ったのか深堀りしてみよう。 


ソニー時代と脱サラ 

  市ヶ谷弘司(いちがや こうじ)は、かつてソニーに勤務したエンジニアである。

常に「新しい仕組みで社会を変える」ことを意識していた。彼の技術者としての信条は、単なる便利さや娯楽ではなく、人間の生存や安全に直結する発明に価値を見いだす、というものであった。 

ソニー退社後は独立し、自らの会社を設立して研究開発を続けることになる。

ちょうどその頃、地球温暖化やヒートアイランド現象が注目され始め、日本国内では真夏の作業現場における熱中症の多発が社会問題化していた。


着想の原点 ― 「空間」ではなく「人」を冷やす発想  

 従来の冷房は「部屋や工場といった空間全体を冷却する」仕組みであっかし、市ヶ谷はこれを「極めて非効率的」と感じていた。

人間が動いているにもかかわらず、必要のない空間までも冷却するのはエネルギーの浪費に他ならない。

彼の視点はシンプルであった。

冷房の目的は「空気を冷やすこと」ではなく「人間を快適に保つこと」。ならば、直接人間を冷やす技術を考えるべきだ。

この考えの背景には、彼自身の登山経験があった。汗をかいた状態で風が通り抜けると、体温が急速に下がる。その自然現象を「衣服に組み込む」ことができないかと考えたのである。 


 最初の試作品と苦難 

  1990年代後半、市ヶ谷は市販のジャンパーに小型ファンを取り付け、バッテリーで駆動させる「着る冷房」の試作を始めた。

ところが初期モデルは課題だらけだった。
  • ファンの重量が重く、着用感が悪い。
  • バッテリーが大型で長持ちしない。
  • 見た目が奇抜で、一般消費者に受け入れられにくい。
加えて、周囲からは「服に扇風機など冗談に過ぎない」と冷笑されることが多かった。資金調達も困難で、開発はたびたび頓挫の危機に瀕した。


  実用化への転機  労働現場の需要 

 それでも市ヶ谷は開発を続け、軽量化したファンと高性能リチウムイオン電池を導入することで、長時間駆動できるモデルを完成させた。

これを最初に評価したのは、ファッション市場ではなく建設業界や製造業界であった。炎天下で作業する労働者にとって、空調服は「命を守る道具」として受け入れられたのである。

建設現場の作業員が「空調服を着ると午後も動ける」と証言。

工場では熱中症発生率が下がり、生産効率も改善。
こうした現場の声が後押しとなり、少しずつ大きな企業などでも導入が進んでいった。 


環境技術としての評価  

  市ヶ谷が強調したのは、単なる「涼しさ」ではなく、環境負荷の低減である。

空調設備で工場全体を冷やすよりも、空調服で人を直接冷やす方が圧倒的に省エネである。

エネルギー消費を抑えつつ労働安全を守れることは、地球温暖化対策の観点からも有意義である。

この思想が理解され、空調服はやがて「環境技術」としても注目されるようになった。 


世界への広がりとその後  

  2000年代以降、空調服は日本の夏を支える作業着として徐々に定着し、農業・警備業・自衛隊・災害復旧現場など多岐にわたる分野で活用されるようになった。海外でも中国や東南アジアを中心に需要が広がり、酷暑地域の労働環境改善に役立っている。

市ヶ谷はその開発理念を「人の命を守る技術」と表現しており、空調服は単なるユニーク商品ではなく、労働安全と環境問題の双方を解決する革新技術として位置づけられるに至った。 


 まとめ  

  市ヶ谷弘司が空調服を世に出すまでの道は、冷笑や失敗、資金難に彩られた苦難の連続であった。しかし彼は「人を直接冷やす」という一見単純な発想を信じ続け、技術的課題を克服した。その結果、空調服は今や酷暑社会に欠かせぬ存在となり、多くの命を救い、労働環境を変革するに至ったのである。