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2月9日(土)アメリカサンフランシスコで、柔道の母と呼ばれていた
福田敬子さんが、亡くなりました。

大変、尊敬をしていた人なので本当に悲しいです。 

今日は、あまり語りたくないので、以前、スポーツライターの
方がコラムに書いていた文章があります。

これで、福田敬子さんの功績と人間力を感じてください。 

文=高樹ミナ

 選手が競技を通して人間性を高めていくことは、スポーツの大きな意義のひとつである。先日、改めてそのことを痛感する機会があった。
 都会の木々たちが、うっすら紅葉しはじめた10月下旬。米サンフランシスコから、柔道家の福田敬子さんが20年ぶりの帰国を果たし講演を行った。現在96歳の福田さんは1966年(昭和41年)に単身で渡米し、以来、世界各国で柔道の普及にあたってきた。いまも自らが設立したサンフランシスコ桑港女子柔道クラブで稽古をつけている。

 福田さんの柔道人生の幕開けは、柔術から柔道を編み出した、講道館柔道の創始者である嘉納治五郎のもとに入門した21歳のときにはじまった。柔道といっても、当時の女性は試合をさせてもらえず、「形(かた)」と呼ばれる柔道の基本形を極めることを目的とした。しかし、嘉納の説いた「精力善用」「自他共栄」の精神は男女を問わず、講道館柔道の理念として根付いていた。
 精力善用とは、自分がもつ心身の力を有効に活用すること。自他共栄とは、相手を敬い感謝することで信頼し合い、助け合い、お互いに成長すること。柔道を通して得たことを、社会生活にも応用することだ。

 福田さんも講道館の門弟のひとりとして、柔道の技と精神を磨いた。その結果、1964年(昭和39年)の東京オリンピックで、形のひとつである「柔(じゅう)の形」を披露。完璧な演武が高い評価を受け、2年後の渡米につながった。
 女性は結婚して子どもを生み、良き妻、良き母になることが当然とされていた時代、福田さんにアメリカ行きを決意させたのは、ほかならぬ嘉納の教えだったという。精力善用、自他共栄には、人間はいかにして正しく生きていくべきかという、人生の大命題が謳われている。当時としては珍しく語学が堪能で、自身も世界に柔道を広めていた嘉納は、福田さんにも海外で指導にあたることを勧め、福田さんもそれを我が使命と受け入れた。


 福田さんは言う。「嘉納先生の教えに近づけるよう努力できた自分の人生をありがたく思う」と。しかし、柔道に身を捧げるがゆえ結婚をあきらめ、日本国籍をも手放した福田さんの人生は決して平坦ではなかっただろう。

 そんな福田さんの信条は「つよく、やさしく、美しく」。心身ともに強く、考え方や身のこなしは柔軟で、常に美しい心であろうとする人間の理想的なあり方を独自の言葉にしたものだ。異国の地で自分の使命をまっとうしてきた福田さんの、柔道家らしく女性らしい表現である。
 20064月、福田さんの誕生日を機に奨学制度「Keiko Fukuda Judo Scholarship」が設立された。柔道を通して素晴らしい人間を育てることを理念に掲げ、若い選手をサポートしている。「どこへ行っても慕われ愛される人間になってほしい」というのが福田さんの願いだ。

 今日では女性も国内外で試合をし、活躍するようになった柔道をはじめ、競技には常に勝敗がつきまとう。何をおいても結果が優先する世界だ。だが、結果を出すまでの過程で、見て、触れて、感じたものは人間の幅を広げ、メンタリティーの向上などにつながる。
 「柔道とは、心の修行」と講演の最後を締めくくった福田さんはこの日、アメリカから一緒に来日した弟子たちに囲まれていた。その中のひとりが言う。「柔道家・福田敬子は日本が海外に送ったものの中で最も素晴らしい貢献」と。ひときわ賑やかな輪の真ん中で福田さんの笑顔がほころんでいた。