家業も街も私が変える、逆風に挑む後継者たち――和歌山・熊野の米穀店







 黒潮に近く世界遺産を抱える南紀・熊野地域の中心、和歌山県田辺市にある「田上米穀店」の3代目、田上雅人(40)。地元の商工会議所の青年部会長など を歴任したキャリアだけをみれば由緒正しい「正統派」の商店後継者にみえるが、さにあらず。外に修業に出て作った人脈を実家の事業拡大や街おこしに生かし ている。
 田上の活動の幅は広い。熊野一帯の生産者と組み、地元で栽培した新品種のコメを「熊野米」としてブランド化し販売する事業に約3年前か ら奔走。5日には、熊野の農水産物や加工食品を直販する新会社「熊野和道塾」を同志と立ち上げたばかりだ。一方で若手監督の作品が対象の映画祭や、夏に海 水浴場近くのいけすでイルカを飼う観光イベントの実行委員長も務める。
 物おじせずに年長の経営者、アーティスト、政治家らと交わり、人脈を広げるのが強みだ。「子どものころから人が好き」と田上。だが、一直線に商売や街おこしへとまい進したわけではない。
  高校を卒業後の89年から4年間、父の方針で京都の同業大手に預けられた。住み込みで行儀作法から営業の仕方まで教わったが、それ以上に田上の目を開かせ たのは、上司や先輩のお供で覚えたマージャンやスキー、ディスコなどの遊び。時はバブル期。「人生の大学だった。一歩踏み出してみることの大切さを学び、 柔軟性が身についた」と振り返る。特に水上バイクには熱中、全日本選手権に出場するまで腕を上げた。
 当初は「幽霊部員だった」商議所青年部など 街の活動に情熱を注ぐようになったのは30代になってから。若手の代表としてイベントを次々任され、資金の集め方、人の使い方などを学んだ。その「積み重 ね」が、映画祭やイルカ事業の企画に生きている。07年には県商議所連合会の青年部連合会の会長にも就任。熊野米事業や新会社設立につながっていった。
  40代に入った田上の一番の関心事は、コメなど熊野の産品を適正な利潤のもとに流通させる仕組みの構築だ。実家の米穀店には父が健在だが、規制緩和による 競争激化で年商はピークの6割強にダウン。跡を継ぐ田上は、付加価値を付けた商材と新たな販路で難題に挑む。そこにも「点と点を線でつなぎ面にする」自ら の交際術が役立つと信じている。