8月19日 AM10:58〜11:15、富士山 中宮八幡堂での勤行を終え、日沢右岸を北上し、次の勤行先「八大龍王」へと歩を進めます。


↑AM11:23…富士山六合目付近の割れ目火口からの溶岩流「日沢」に降り立ち、半島部分を巻いて日沢の右岸から左岸へと渡ります。
↑AM11:25…日沢に降り立った時の様子です。
流木や倒木、滑りやすい苔むした溶岩に気を付けながら進みます。
↑AM11:28…海抜1275m、日沢左岸の沢筋から上がると、正面に『岩清水 水神の祠と八大龍王の碑(自然石)』が現れます。
AM11:29…『八大龍王』にて、お勤めが始まります。
↑AM11:34…お勤めが終わった後、水神の祠と八大龍王に参拝させていただきます。
水神の祠には「文化十三寅年六月日」と彫られています。
西暦1816年に建立されたものです。文化13年は丙子(ひのえね)のため、寅は日の干支(旧暦)を示し「大安日」を表していると思われます。
↑AM11: 34…自然石の『八大龍王』には「八大龍王 文化七年七月十七日」と彫られています。
西暦1810年の11代将軍 徳川家斉(とくがわいえなり)の時代で、こちらも大安日(旧暦)に建立されています。

八大龍王は、天台宗の開祖「最澄」によって日本全国に広まった法華経に、仏法を守護する八つの龍神として、難陀龍王(なんだりゅうおう)、跋難陀龍王(ばつなんだりゅうおう)、娑伽羅龍王(しゃがらりゅうおう)、和修吉龍王(わしゅうきちりゅうおう)、徳叉迦龍王(とくしゃかりゅうおう)、摩那斯龍王(まなしりゅうおう)、阿那婆達多龍王(あなばだつたりゅうおう)、優鉢羅龍王(ゆうはつらりゅうおう)が登場します。
八大龍王は、法華経の最高位である「観音菩薩」の守護神として鎌倉時代以前から信仰されていました。
龍神は、農耕民族の日本人にとってはご利益を預かりたい神様でした。古来から土着信仰の対象だった龍神は、最澄や空海の時代から本格化した「神仏習合」によって、仏教の八大龍王と交わり、全国に信仰が広まっていきました。
↑AM11:35…こちらの水神の祠と八大龍王碑は、元々 日沢沿いにあった「井戸跡」近くに建立されていたそうです。
しかし日沢は雪代であるため土石流の道となっており、岸が削られ流されてしまう恐れがあるため、現在の場所に移動されたそうです。
この一帯は、東側の不動沢から流れ込んだ溶岩塊が、駿河湾からの湿った風を長い年月受けて苔むし、神秘的な苔莚(こけむしろ)の世界となった場所なので、とても良い場所に水神の祠と八大龍王碑は移されたと思います。
また井戸跡は、1942年の記録では「深い穴があって、少量だが水がある」とされていますが、現在は涸れてしまっています。

↑こちらは『八大龍王』での勤行の様子を記録した動画です。短い動画ですが、ご覧ください。

つづく…