東北の地で

先週いっぱい、東日本大震災のボランティアに行ってきました。
私が行ったのは白石市と亘理町。
特に亘理町は津波の被害がとても大きいところです。
東北で、それこそ自分がフルボッコされたような経験をしたのでそのことを。
宮城でのことです。
参加したのは神奈川県の特別支援学校の先生が主導して行っているもので、
障害児者対象の活動を行っています。
たくさんあるボランティアだけれど、力仕事で足引っ張るよりは
自分の専門性が生かせたら、と思っていた矢先参加させていただくことになったもの。
有り難いご縁でした。
リーダーは59歳の現職の特別支援の先生。
こんなパワフルな人に今まで会ったことない!
平均睡眠時間4時間くらいで毎日活動してたと思う!
ボランティアスタッフもほとんどが現職の先生。
活動の後お風呂に入ってから、毎日みんなでビール片手に先生という仕事について遅くまで話していました。
その先生の紹介で、現地の特支で働いている先生と仲良くなって
ご自宅に泊まらせていただいたり。
その先生も面白い方で。大学でて教師になってから大学院に通ったり企業に入ったり協力隊でウガンダに行ったりしてたとか。
ここまで出会いと出会いが次々につながっていくのを感じたのは久々でした。
立ちながら眠れるくらい疲れたけれど、だけれど美しい自然の中でものすごく濃密な時間を過ごせました。

そして、初めて自分の目で見た、津波の襲った跡地。
言葉を失うとはこういうことかと。
びっくりするくらい、何もない。
ぽつんと、まるで何十年も放られていたかのような小学校の体育館と校舎があるだけ。
しかも一階部分はえぐれて何も残ってない。
そして、地面をよく見ると、コンクリートの基礎が残ってる。
一つや二つじゃない、見渡す限り基礎部分だけある。
そして点々と陸地に船が転がってる。
そこには大きな住宅街が広がっていたらしいです。
お母さんが料理する台所だとか、お父さんが洗車するガレージだとか、子どもたちがバスケする庭がそこにはあったはず。
でも、人も家も思い出も全部一気に流されて行ったんだと思うと、
言いようのない脱力感や悲しみや不安や無念におそわれて、
涙を流さずにはいられませんでした。
かわいそうって言葉を日常生活で使わないように努めていたけれど
この時ばかりは他に何も言えなかった。
たくさんの人と話して、子どもと遊んで癒されて、たくさん笑って泣いた一週間。
その帰りに出会った人々がこれまたすごかったのです。
帰り、18きっぷで帰る予定がなんと続く大雨と地震の影響で
完 全 に 止 ま っ て た 。
(°Д°)
しかもその日インターンの最終選考があるという。
焦った焦った。でも次の瞬間には改札を出て、

ヒッチハイク始めました。笑
そして最初に乗せてくれたのが、ばりばり東北弁のおじいちゃん。
そのおじいちゃんの言葉に泣かされることになるのですが。
車中での話はやはり、大震災のこと。
大変だったよ、と。被害は大きかったよ、と言うおじいちゃん。
そして、津波の跡地を見て思ったことをおじいちゃんに話してたんだ。
何もしてないのに急に命を奪われて、まだまだこれからだったろうに無念だ、と。
そしたら、おじいちゃんがぽつりぽつりと話してくれたこと。
「亡くなった方々は神様がちゃんと天国に連れてって下さっとるし、そこでちゃんと新しい生活を送れとるよ。だからこの世界に残った俺らは、悲しむんでなく前を見て歩いていかんとかん。亡くなった人はちゃんと上から見とってくれる」と。
大事な方を亡くされたおじいちゃんが言うんだよ。
私なんて被害らしい被害も受けてない。
なんかもうすごいよ。本当に。
その言葉で頭打ち付けた感じがした。笑
東京までの間に他にも乗せてくれたのは石巻で勤務していた校長先生や
横須賀に向かう自衛官の方。
20数年前ぶりに、教え子が自分の安否を気遣って学校に電話をくれたんだよ、
嬉しかったなあと目を潤めながら話す校長や、
国防に関してはいろいろな意見があります。反対する人も多い。それでも私は国を守っていきたいのです。対外的にというわけでもない、今回の震災の時のように日本を少しでも救えたらいいんですと話す自衛官。
ほんとに、この世界は無数の仕事とそれを背負う人によって支えられてる。
相反する意見だって絶対にあるけれど、
自分と反対のところにいる人たちだって必ず考えているものや背負っていることがある。
対極にあるものに目を向けた上で考えていけたら、きっともっと優しい社会になる。
私は、人に出会うほどに様々な視点や興味や疑問を与えられて、
それが好奇心という原動力になって新しいことを始める人間です。
今回の一つ一つの出会いは本当に大きかった。
自分が恥ずかしいと思ってしまうような大きな方ばかりで。
実を言えばまわりに行動力あるね、だとか言われることに酔ったりもしてた。
でも、到底及ばない人たちがこんなにもいるんだと。
彼らに対する尊敬心と、自分に対する謙虚さを持つことを改めて教えられたような気がします。
もーーーーーーまだまだだーーーー!!!!
就活して、教職とって、国家試験して、
いろんなことに手を出しすぎて少し足下が見えなくなってきてた。
だけど、この一週間で自分が本当にやりたいことが見えてきました。
やっぱり特別支援学校の先生になりたいです。
きっとこれからもそれは人生の目標であり続けると思う。
だけど、改めて現職の先生方にあって、
自分の人間としての小ささだとか、知識や経験のなさを思い知らされました。
胸をはって子どもたちと接することができるような人間になるために、
自分のフィールドを広めるという意味で今はどっかり就活に向き合おうと思います。
こんなのやりたいことじゃないだとか弱音吐いたりして、
尊敬する先輩に諌められたりもしましたが、もう大丈夫です!
きっともう迷わない。
たくさんの方に与えてもらったものを社会に還元できるような人間になるべく、気を引き締めて生きていこうと思います。

いやはや、日本ってすごい国だ!!!!!!!
5月のこと
全く更新していませんでした…
更新しない間にブログ読者とアクセス数がもう壊滅的なことになっておりました。
でもめげない!強い私!
これからは定期的に更新していくのでまたよろしくお願いします。
オーストラリアのワーキングホリデーとインド放浪中に書き続けた日記と
撮り続けた写真も少しずつアップしていきます。
誰かの役に立ちますように。
さてさて、梅雨にも入り、暦は6月に。
新しい月の目標を掲げて邁進したいところですがまずは5月のことを振り返ろう。
先を見るのは大事だけれど、自分が歩いて来た道を振り返ってみるのもまた大事。
私が5月に歩いて来た道はそれはもうくねくねでしょうね!
くねくねどころじゃなく、くねっくね!
ソーセージマルメターノも舌を巻くレベルにカーブしてたと思います。
【ソーセージマルメターノ】
一言で言うととにかくついていなかった。
何があったかというと、元凶はゴールデンウイークのリゾートバイト。
リゾートバイトはいろんな噂を聞いていたし、結局金銭でのつながりでしかないっていう雰囲気がどうも苦手で避けて来たのですが、帰国直後でお金もないし、短期でしか働けないし、ということでやってみました。
このリゾートバイト、基本は派遣会社が仲介になるので派遣としてのお仕事です。
私はグッドマンサービスという派遣会社に紹介をお願いしました。
担当の方もとても気さくで話しやすかったです。
そ し て
紹介を受けて行った、箱根のとあるペンション。ここが最悪最低のshithall。
ペット同伴OKということで人を集める小さなところで、オーナーがひとりで切り盛りしていました。
このオーナーがとにかくくせ者。とにかく契約を守らない。
1日16時間労働、休憩15分、ご飯一食。日給6600円。
加えて度重なる暴言と最低なサービス。
学ぶところが何もない。めちゃくちゃに言われるし。精神的にかなりきていました。
労働基準法完全無視だったので労働基準監督署に訴えて
最後のオーナーをディスってやめました。
日本はあんまり裁判とかしないけど海外行ったらこんなんばんばん慰謝料請求できるレベルだからね。もっと使いましょうね、裁判もストライキも国民の権利です。
5月の頭にそんなことが起きて、1ヶ月引きずって結局動けなかったなあ。
なんでしょうね、働かせてやってるって主張する経営者。
そのオーナーもしょっちゅう「俺は社長だ!!!」なんて言ってたけどだから何だよっていう。
若者のくせにって年の功が主張できるのはそれなりの器を持った人だけだろうが。
そういう、何の根拠もないくせに年功序列で正しくないことまでまかり通ってしまうのがすごく嫌いです。
年上の人と話すのはとても好き。生きた時間が長い分、私の知らない世界をたくさん知っていて、それを聞かせてくれる。
だけどそうじゃない人もいる。自分の見てる世界が全てだと、その世界観に全てを当てはめようとする人。
結果、人の意見に耳を傾けることもできなくなってしまう。
子どもにだって赤ちゃんにだって教わることはある。自我を強く持ちすぎるが故に自己以外を排除する。こういう人が、年を重ねるほど増えて行く。
残念なことだと思います。
いつまでたっても、誰の話にも耳を傾け意見を汲み取る。
そしてその意見の中から自己の飛躍につながるかけらを見つける。
謙虚な姿勢を忘れないようにいたいものですね。
そして、リゾバはお給料が高い以外のメリットが残念ながら見つかりませんでした。
比較できないくらいボラバイの方が好き。
そんなこんなで5月はだめでしたね。
今年は梅雨が長いようで6月中はじめじめの毎日でしょうが
5月に休んだ分、思い切り動き回る月にできたらと思います。
6月の心意気はまた改めて。
iphone おすすめアプリ
iphone4すごい。笑
カメラの性能がなかなか高いです。
Instagramというトイカメラで撮ったような写真が撮れるアプリと
Monotoricamという、まるでマクロで撮ったかのような奥行きが出せるアプリを重宝しております。
これが前者で撮ったもの。

仕上がりが十何種類のカメラから選べます。
これが後者の。

写真が明るくなり、後方がぼやけているのが分かります。
ピントを合わせたい部分が指一本で選べるのでとても使いやすいです。
しかも!データフォルダから写真を選んで、写真を撮った後に加工できるのがいい。
特にInstgramは無料アプリなので、ぜひおすすめしたいですね:)
おすすめのカメラアプリあったら教えてください*
父の仕事場
なんと作業の巻き返しがはかられた、ということで行く必要がなくなりました。笑
というわけで、実家にいます:)
【陶器の町、瀬戸】
今日は愛知県瀬戸市にある父の仕事場に行ってきました。
父の職業は陶芸家。
普段使いの食器を作っています。

今住んでいる家は岐阜にあるのですが、私も元々は瀬戸市の出身。
町の至るところに陶器を売るギャラリーさんがあったり、
陶器を使った小径を縫って探検したり、
陶器を身近に感じて育って来たのでした。
昔は全く見ることもなかったですが、
最近は瀬戸のたくさんの商店に置いてある、「瀬戸まっぷ」という観光マップを手にしながら
ゆっくりこの町を散策している方をよくお見かけします。
古い町並みと、なんだかゆっくり流れているような時間に身を置いて、
少しの間喧噪を忘れさせてくれるような、そんな穏やかさのある町だと思います。
瀬戸のおすすめコース、今度アップしよう。
【父の仕事場】
父の仕事場は、一言で言うと、カオスです。笑
物で溢れている。
私なんかだとどこに何があるか分からないんだけれど、本人は知り尽くしているようで。
「八寸のお皿ない?」
「青磁のコーヒーカップが欲しい」
と急にお願いしても、そこらの棚からぱぱっと出してきます。
そんな父の仕事場に来るたび、
アインシュタインの頭の中ってこんなんだったのかなあ、と思う。
他の人から見たら全く分からないことばかり詰め込まれてて混沌を極めて居るのに、
本人にとっては全てが秩序だっている。そんななのかなって思うのです。


【インターネット販売をします】
そんな父の作品を、インターネットで販売しようかな、と考えています。
考えにいたるまでに、たくさんのことがありました。
だけれど、やっぱり、オーストラリアへの留学がとても大きかった。
今回のビジネスパートナーはオーストラリアでとてもお世話になった方です。
オーストラリアに居る間に行った市場調査を通して、
オージーが、陶器、というよりは、オンリーワンの食器に興味を持ち始めていることが分かりました。
そして数多くあるジャパニーズレストランの経営者の方々にも
作家さん方の食器は需要があると。
日本で市場を失いつつ陶器。
泣く泣く職を手放す作家さんも多いようです。
手の温見を感じさせる、手作りの世界に一つだけの食器。
それらが、価格の違いによって、大陸から輸入される大量生産の器に圧倒されているのです。
とても悲しいし、悔しいことです。
料理の写真を見ても、すごく美味しそうなお料理を作られている方でも、
器がそのお料理を引き立てていないなあ、と感じることが多々あります。
四季によって器を変えて来た日本人。
本来それくらい感性豊かなのだと思います。
お料理が、一番似合う器によって飾り立てて来た唯一の人種だと思う。
日本料理屋さん以外では見られるものではありません。
ワンプレートの美学を謳うところですからね、西欧は。
素敵だと思いませんか、お料理に大してまでの、心遣い。
違った種類のおちょこで交わすお酒。
茶渋を愛でる文化。
日本ならではのものだと、海外に行ったことで気付きました。
だけれど、その文化が失われつつ有る。
これはサブカルチャーでない、生活に深く根付いたものだったはずなのに、
今の日本文化といって海外の人たちが言うのは、アニメだったり、漫画だったり。
もっともっと、日常的な文化、多くの人に共通した文化を日本文化として知ってほしい。
そのためにはそれを伝える日本人の意識も変えて行かないと。
そう思いました。
だから、最終的には輸出を通してこの愛しき文化を諸外国の人に知ってほしい。
だけれど、その前に日本人に、この文化に気付いてほしい、と考えています。
素敵なお料理を、素敵な器で飾ってほしいのです。
私自身、作ることが好きです。味は…ね、関係ない!笑
自分のつくった料理は、やっぱり特別。
そんなお料理を、自分が吟味して選んだお皿に盛りつけると幸せが格段と増すのです。
その幸せを、知ってほしい。
そんな思いをもって、陶器の販売を行おうかと思っています。
まだまだサイトはできていない状態なのですが×
これを始めるに至った理由はこれだけではないですが、それはまた。
サイトが出来た頃に熱く語ります!笑
何が言いたかったって、それを始めるために今日、父の工房で作品を撮影してきましたってことでした。

向日一週間*ボラバイトに応募しました
一昨日煮た
”にんにく醤油のこってり肉じゃが”
奥にあるのは父の作った""いかと豆腐の生姜煮"
煮物対決。笑
まだ決まってないのですが。
最初の記事がこんなのであれなのですが。
今、ボラバイトの応募をしました。
【ボラバイトとは】
***知らない方のために***
※ボラバイト:サンカネットワーク主催、新しい形の農業参加。
基盤にあるのは、ワーキングホリデーの間では有名な”woof”というシステム。
賃金が発生しない代わりにFree food, Free accomodationをゲットできるものです。
ボラバイトがwoofと少し違うのは、ボラバイトには賃金が発生する事。
日給3000円くらいが主流。
時給500円、なんていう時給制もありますが基本的に日給制、そして住み込み型。
オーストラリア滞在中にいくつか農業の仕事に従事しましたが、
ボラバイトの特徴として
1)賃金の発生によってボラバイターは仕事に対する責任感が増す
2)農家さんのボランティア意識が拭われ切れず、お金ではないもてなしによってボラバイターの労働を労うとする
ことが挙げられると思います。個人的に。
詳しくはボラバイトHPまで。
***
私の意見としては、
【ボラバイトは金銭によらない人と人とのつながりを生み出す】ものだ、思っています。
そんな農業形態、職業形態のボラバイトに惹かれるものがあって、
大学の長期休みを利用してはボラバイトに参加させていただいていました。
今まで参加したのは北海道のさくらんぼ農家さんと、
沖永良部島の花卉農家さん。
これらについてはまたの機会に記述します。
旅好きとしては、ボラバイ先までの移動の間に楽しむ旅もボラバイの醍醐味。
いつも青春18切符やフェリーを使って非日常の時間を満喫していました。
【ボラバイト応募にいたるまで】
話は戻って。
今日、被災地の農家さんはどうなっているのだろう、と
久々にボラバイトのHPを開いてみると。
ここにも踊る、東北・関東大震災の文字。
やはり被害があったのか…と読み進めると、とても心を打つ言葉が。
広い範囲での被災により、優先的に被災地へ物資を輸送していると報道されておりますが、供給が足りていない状況です。
東日本が被災した今、資源を供給できるのは西日本だけとなります。
今まで物資の支援だとか、そういうものばかりに目を向けていました。
だけど、その前提として、今は西日本で物資を生産しなければならない。
原発の報道がされ、だけど誰もどれくらい危険か分からない、そんな中で
畑の中働いている人たちがいる。
多くの感謝の言葉が東電作業員さん、自衛隊の方々をはじめ、現地で作業する方々に送られています。
だけど、食という人間の基本行動を通して命を支えてくださっている方々に対する感謝を忘れていたなあ、と。
前者対しては、祈りを通した応援しかできない。
だけれど後者に関しては、私の体で力添えができるかもしれない。
そして、彼らが手助けを必要としている。
臆病の上に成り立った行動力ゆえに、関東に行くことはできなかった。
関東に滞在の方にはとても申し訳ないながら、放射能はとても怖いです。
目に見えないながら体を蝕む爆弾。
それを避けて自分にできる支援を、なんて謳うのはとてもセルフィッシュな社会貢献かもしれない。
だけど、ここ数日の生活といったらまあ、
テレビとツイッターと新たにすとgoogleとにらめっこして
情報を集めることくらいでした。
生まれ来る子どもたちに今回の災害を伝えて行く義務、
それを負った今、情報収集に必死でした。
募金集めに参加したり、新たなビジネスの準備したりもしてたけど
それでもどこか焦ってた。私には結局何もできないのか、と。
そこに、この動いてなきゃ気が済まない性格をなんとかしてくれそうな支援の形があった。
幸運なことに、ボラバイ期間も私の理想。
移動手段や時間を計算、今後のスケジュールの調整もした結果、可能だと判断しました。
というわけで。
送っちゃった★履歴書!笑
急募やし他に人が見つかった後で、採用されるかは不明ですが。
これまでのボラバイ経験を生かせるかもしれない。
私なりの支援が、形になればと思います。
っていう報告でした。
【私にできること】
日本が、一つです。
国を挙げて危機を乗り切る。
自分にできる支援の形がきっとあるはずです。
・東北産のものを優先して買うこと。農業の復興は長期に渡ります。需要をつくるのも一つ。
・節電することだって一つ。
・募集され始めた現地ボランティアに参加するも一つ。(放射能の情報はしっかりチェックしてください)
・野菜や魚、お肉が並んでいます。それを買って日本経済を助けるのも一つ。
・自分が不安な分、まわりもきっと不安。優しく声をかけてあげることだって一つ。
被災地に直接関係なくても、お金を使わなくてもできることだってある。
そういうことに、情報パニックに陥っている今だからこそ、目を向けたいですね。
もう4時半!
さてさて、ボラバイ決まるでしょうか。
自己紹介も終わってないのにこんな記事を書いてしまった。笑


