私たちの目に映るものは顕在意識より見ている。

例えばキリストであれ釈迦であれ、人間としてのキリストや釈迦を見ているだけです。

 

釈迦の「十方無限世界即ち我の身体也 」は「宇宙は私自身である」葦原瑞穂著“黎明”(上巻)

 

伝統的な祖師仏教もただ祖師に追随していくのであれば

「宇宙は私自身である」という普遍意識には到底到達できないことになります。

 

人は皆、魂と肉体を持ちいずれ肉体を手放す時が来ます。

そしてその時が自分が紛れもなく宇宙の一部である事を

認識する訳です。

 

世界の人々がこの認識になれば本当の意味での

光輝く世界となるのでしょう。

 

宇宙全体にありがとう・地球全体にありがとう

日本全体にありがとう・祖先.先祖にありがとう

 

今日もブログを読んでくださってありがとうございます。

 

 

以前に読んだ「未来は決まっており自分の意志など存在しない」という本にも書かれていましたが、

私たちが未来という時にそれは過去の経験から来る記憶に基づいて作られていて、過去の経験を未来に投影している事に

気付かなければなりません。

当然思考のアップデートがなければ見ているもの知りえているものも、実は過去の記憶・心の中の知覚がそれを創り出していてそのように見せているだけで、

本来の実在のものとは違っていることなのです。

 

人が空を見て青という人と緑という人がいる場合、

それは視覚的な作用でその色を感じ取っているわけで

人それぞれ見ている色は違うのですから、自然界に見ている色がその色そのものではないのです。

海外で映像をとると色温度が違うため映像に特殊フィルターを施したように見えます。昔は海外のロケが多かったのですが、今はコンピュータ処理のおかげで何でも出来てしまいます。

このように自分が見て確信していてもそれは表象に過ぎず

実相は別にあるということ、自分のイメージの中に作り出した一つの側面だけを見ている事になります。

 

これと同じように海外の人は虫の声は雑音にしか聞こえないと言いますが、日本人はその声が情緒ある音色に聞こえるのは五官での受け取り方が違うのです。

 

そろそろ、私たちは思い込みを手放し心の幻想世界から外の世界に目を向けないといけない時期に来ているのです。

 

 

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立春という言葉だけで何だか心は春めいて来ますが、

実は北陸や東北は大変な大雪で、私の親族も北陸いますが

選挙どころではないと連絡がありました。

大雪の被害に遭われた方々に心からお見舞い申し上げます。

 

最近特に思うのは、この世界で生きる上で情報不足というのは、それだけで未来が狭まってしまうという危険性があります。

 

数年前の出来事はテレビ・マスコミの情報だけで信じた人が

大変多くいました。今回の選挙もテレビの情報だけで判断する事はとても危険な事なのです。

例えば高齢者になれば情報はテレビが全てです。

そこで流された情報が正しくなくても正しいと判断してしまいます。そしてそれに従って行動することになり後で後悔することになります。

 

私は気になる事があると徹底的にインターネットや書籍で情報を収集し、また専門家の意見を幅広く見聞きして検証し自分の未来の方向性を決めて行きます。

 

自分の思考のアップデートを常に心がけて行かないと

過去のデータからの未来に決まっていく事になります。

 

2月8日は日本の未来を決める事になりますが、物事を見極める事ができる柔軟な思考の人がどれだけいるのか、それともこんなはずではなかったなんて事になるのか大きな分かれ道になります。

 

 

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日本はあちこち何処に行っても神社仏閣・磐座(いわくら)

ご神木など祈りの対象は数多く存在しています。

どこでも、何にでも感謝をする民族が日本人なのです。

だからこそ国難があってもお互いに思いやり

助け合ってきました。

恐らくこんなに宗教に寛容な国は日本だけです。

 

ところが一神教の国ではその神様以外を信仰することは

許されないのです。一神教の怖いところはその神様が絶対でありそれを信仰しなければ生きていけないのです。

これこそが宗教戦争が生まれる原因なのです。

 

しかし、これからは互いを敬い尊重しあう民族でないと生き残れない時代が来ています。

神仏はそういう国を守護します。

我よしの国は歴史を見ればわかる通り何度も滅びています。

日本の生き方を学ぶことが国を繁栄させることに繋がる事にそろそろ気付いて欲しいと思うこの頃です。

 

 

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今日は節分でしたので、子ども達と豆まきをしました。

赤鬼さんと青鬼さんとお相撲さんの登場に子ども達は大はしゃぎで大歓声を上げていました。

そういえば昔はストーブで豆を炒って豆まきをしましたが、

今ではスーパーに炒った豆が売っているので

豆を炒る風習も消えて行ってるのは少しさびしいですね。

 

節分は季節の節目であり、あちこちの神社やお寺では厄除けの大祭が行われ厄除け祈願などが盛大に行われます。

この日を境に本格的に今年の星回りとなりますが、

いろいろな計画の実行は春分を過ぎてからの方がスムーズに運びます。

特に今年は日本の行く末を決める選挙があり、受験や新生活の準備に入る時期です。世の中がせわしく動く時期ですので

こういう時こそ地に足を付けて動きたいものです。

 

2月8日は魂の清らかな人たちの桜が咲くのを見てみたいですね。

 

 

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昨日は一年ぶりに主人と二人だけで神社にお詣りしました。

とても気持ちの良いお詣りが出来ました。

お詣りはたいてい一人か主人と二人で行くのが波動の乱れがないので気持ちが良いのです。

 

人と出かけると気を使い、精神統一が出来ないのでお詣りにならないのです。

神社は自分の中の神霊(かみ)と向き合うところです。

よく連れて行ってという人がいますが、一人で行けないのであれば神様は来なくてよいと言います。

 

神社は連れ立って行く観光地ではないのです。

御神前に立った時、そこにあなただけの神様が現れるのです。

昨日はいつものように四社詣りをしたのですが、

その中の一社に千木がのある神社があります。

伊勢神宮では必ず目に入りますが、地方の神社では

あまり見かけません。

大祓拝詞に「千木高知りて」というところがありますが

具体的な意味合いは不明です。

外削ぎ・内削ぎは男性神・女性神と言いますが

これも定かではありません。

ただ千木が昔のアンテナや避雷針のような感じがして

何だか神界と繋がっているような気持になります。

 

五重塔などの天に真っ直ぐにそびえ立つ光景は、

人間の魂が天と繋がりたいという願いの象徴なのでしょうか。

とても心が洗われる朔日詣りでした。

 

 

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私たちの肉体から離れた魂は何処に向かうのでしょう。

一般的には中有もしくは中陰とも言いますが、

49日の間そこで過ごします。この世は物質世界ですが

中有の世界は実体のない抽象的な世界だと考えてください。

この期間は肉体から魂が離れて間もないため、状況が理解できない魂もあります。なので49日間かけてそれを納得し

次の場所に行くために必要な準備段階なのです。

それでも中にはいきなり天国に進む魂もあり、また地獄の世界へ進む魂もあります。すべて自ら選択して進んでいくのです。

以前お師匠様が言ってたことですが、「いわゆる聖職者という人たち僧侶や政治家・先生・霊能者等は一番罪が深いんだよ。お布施や献金を頂き、そして多くの人の心を惑わすからね。だからいきなり堕ちていくんだよ。」

今ではその事がよく理解できます。

 

私の僧侶になる時のひとつの約束は、見返りは望まないで多くの魂のご供養をさせて頂くことがだったのです。

ですから一つの魂でも上に上がって頂きたいと思っています。

 

人の心を惑わし多額の金銭を頂く宗教やスピ系などには

救いはありません。

生かされている事に感謝を忘れず真面目に真剣に

生きることが自らの行先を決めることになります。

何処に向かうのかは自らの魂が知っているのです。

 

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今日は朔日なので、いつものように四社詣りに行きました。

知人の家族が全員でお詣りに訪れていたり、若い礼儀正しい青年が一人でお詣りに来ていたり、そんな光景にほっこりします。

多くの人は元日とか節分の厄除けやお宮参りや七五三にお詣りする方が殆どでしょう。

また受験の祈願などでお詣りする方もおられると思いますが、苦しい時や嬉しい時に神様と拝みたて騒ぎ立てるのは

まるで線香花火のような儚い信仰です。

 

平穏無事な日々だからこそ感謝し神様に御礼申し上げることが大切なのです。

朔日詣りは月の元旦詣りであり新たな気持ちで過ごすための

大切な節目となります。

 

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この数年、随分と宗教について学びなおしました。

以前は自分の宗派が絶対と思っていたのですが、

いまはその頃と比べたら考え方が180度変わりました。

 

様々な宗教書や哲学書を読んでいく内に、自分の考え方が

いかに狭い範囲しか見ていなかったのかと思います。

 

例えば、これを唱えていれば救われるというのが

ありますが、唱えていない人の方が多いのですから、

そうすると多くの人の魂は救われないという事になってしまいます。

 

実は今までの宗教が昔からこういう方法で布教活動をしていました。しかし最近ではそれに違和感を感じる人も多くなり

内面重視に変わり宗教依存から自立するようになりました。

 

結局のところ何処に向かうのかは自分次第なのです。

行先は自分の一生の行き様の結果なのです。

なので魂は既に行先を分かっています。

 

 

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いよいよ2月に入りました。

本格的に今年の世界の動きがはっきり現れてくる時期に

入りました。

個人レベルでも節分は節目となりますが、感謝の思いで過ごして行けば大難は小難にそして無難にと変わって行きます。

 

ところで肉体と魂の分離が死と言われますが、

肉体だけが滅び魂は生き続けます。

つまり入れ物は使えなくても中身は存在し続けます。

 

なので生きてる今、肉体と魂が天国(心豊かな世界・感謝に溢れる世界)に居れば肉体がなくなっても魂は天国に残ります。

 

しかし今現在、肉体と魂が地獄(恨みや苦悩・争いに満ちた世界)に居れば肉体がなくなっても魂は地獄に居続けるわけです。考えてみれば当たり前の事です。

 

物欲で貪り続ければ生きてる今が餓鬼の行いですから、

肉体が滅びても魂は貪りの世界に生き続けるのです。

 

つまり死後の行先を決めるのは自分です。

死ぬ前に善行を積んだから良いところに行ける訳ではなく

普段から心の徳・生かされていることへの感謝を意識して

生きる事です。

 

今日もブログを読んでくださってありがとうございます。