今日の富士山

 

今年も一年このブログを訪れて頂きまして

有難うございました。

 

来年はいよいよ人間が神に近づくか獣に近づくかを

試される時期になりそうです。

 

元旦の初詣の折に、世界の平和・国土安穏を願うのか

個人の願いに留まるのか、神仏は見ております。

 

国家が安穏でなければ個人の願いなどは

叶えられるはずもありません。

 

どうか初日の出と初詣は世界の平和と国土安穏を

皆さんで祈って頂きたいと思います。

その力が世界を変えます。

 

日月神示の春の巻の第四十七帖にあるとおり

日本人の祈る力、念の力が新しい武器となります。

 

この念の力こそ神の力となります。

日の出と共に神の力を世界に届けましょう。

 

 

 

今年一年お付き合い頂きまして有難うございました。

来年が皆様にとって幸多からん事を祈っております。

よいお年をお迎えください。

 

 

仏教でいうところの十界は、あの世の事ではありません。

地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・

天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界

これらの全てが私たちの日常に備わっているのです。

 

例えばあれが欲しいこれが欲しいなどは、

餓鬼そのものであり尽きる事の無い欲によって

苦しみを生じます。

また人のお役に立ちたいと思い行動する事は

菩薩の行いです。

このように私たちの心は毎日この十界を彷徨います。

 

それでは死んだ後は何処へ行くのでしょうか。

同じ周波数を持つエネルギー体のところへ

引き寄せられます。

正しい肉体と正しい行いや心を持ち合わせる人の魂は

それと共鳴するエネルギーの黄泉の国が待っています。

尽きる事の無い欲に溢れた人は、同じ欲の深いエネルギー体の場所へ引き寄せられてしまいます。

毎日の心の有り様が来世の行先を決めてしまうとは、

恐ろしい事です。

どうかその事を心の片隅に留め置いて頂けたらと思います。

 

 

今日も皆様の大切な時間を使って

ブログを読んで下さり有難うございます。

 

 

歴史というのは常に勝者にとっての

都合の良いストーリーが語られています。

少しの本当と多くの嘘が混ぜこぜになり時がたてば

事実とはかけ離れてしまうのが常。

 

日本においても古事記・日本書記以外の竹内文書や

先代旧事本紀大成経などが偽書とされたりしているのが

現状です。

様々な場所での発掘や偶然の発見などは、

今までの定説では説明のつかない矛盾に溢れています。

しかし、その部分には触れられないように

都合よく書き換えられてしまうのです。

 

歴史というのは起きてしまった事を正確に記述すれば良いのですが、ある方向に誘導するために作り上げられたストーリーを見せられているのでしょう。

この数年で起きた事は100年後に

一体どの様に伝えられるのでしょうか。

その頃の教科書を見てみたいものです。

 

そう思うと、やはりこの世は幻想世界なのでしょう。

 

 

今日も皆様の大切な時間を使って

ブログを読んで下さり有難うございます。

 

 

年の瀬になると決まって話題になる宝くじ

私は興味がないので購入しませんが、この宝くじに

纏わる話はけっこうあり、どちらかと言えば

当たったおかげで不幸になった話の方が

多いかもしれません。

 

例えば宝くじの場合、多くの人が夢を描いて購入します。

もし当選した時そのお金には、当選しなかった人の欲の塊が

もれなくついて来ます。

そして恨み・妬みなどを引き寄せてしまいます。

 

また親の遺産を引き継いだ時も、

周囲の妬み・羨みが付いてきます。

 

浄財なども相手の惜しむ気持ちが多少なりとも入る為、

自分にも惜しむ気持ちが入り込みます。

 

このようにお金というものは、人の思いが

入りやすいのです。

 

ではこの様な場合どうすれば良いかと言えば

しばらく手を付けないでほっておくのに限ります。

2~3年位そのままにして置くと冷静になり、

正しいお金の運用が出来ますし、何より

お金に付いていた垢も取れてしまいます。

 

お寺で宝くじが当たって不幸が舞い込んできた話も

以前に聞いたことがあります。

お金は人を狂わせる怖いものですが、

人のお役にたてる使い方もあります。

宝くじが当たった方はじっくりと考える時間を持つことを

お勧めします。

 

 

今日も皆様の大切な時間を使って

ブログを読んで下さり有難うございます。

 

 

年の瀬で毎日が慌ただしく過ぎて行きます。

中々ブログも更新出来ないのですが、

漸くひと段落ついたので書いていきます。

 

コロナ禍以降、この世の中は明らかに二極化になりました。

あれ以来まったく会わない人も大勢います。

進んでいく道が二つに分かれてしまっているのです。

スピリチュアルなどを学んでいる方は恐らくその事が、

よく分かっていらっしゃると思います。

 

私は宗教者ですが、宗教で人を救うのは難しい事です。

お経を沢山唱えても救われません。

お釈迦様はお経を唱えていた訳ではないですし、

ただひたすらに自分の真我と向き合って悟りの境地に

辿り着けたわけです。

先日友人が来て悟りについて話し合いました。

彼は大学で仏教を学び修行もしましたが、

宗教者の堕落を見てから、この道に救いはないと判断して

独覚をこころざして今に至ります。

 

この時代は宗教者であろうとなかろうと、

真理を探究しようとするものにとっては有難い時代です。

様々な情報があり自分に合うものを選択すれば良いのです。

二極化とはロボット化していく人と

誘導されずに自分の道を究める人

いまはこの分岐点にあります。

 

今日も皆様の大切な時間を使って

ブログを読んで下さり有難うございます。

 

 

見えないくらいが丁度いい

 

聞こえないくらいが丁度いい

 

触れられないくらいが丁度いい

 

見えなくても聞こえなくても触れられなくれても

 

何となくそばにいるのが分かるから

 

守ってくださるだけで有難い

 

いつも見守って下さるだけで十分だ

 

 

今日も皆様の大切な時間を使って

ブログを読んで下さり有難うございます。

 

クリスマスが終わると年末の大掃除が街のあちこちで

見かけるようになります。

 

私も今年は早くから少しずつ始めてました。

掃除は心の垢も一緒に綺麗に祓い清められます。

そういう意味では毎日が掃除ですかね。

 

もちろん家の掃除もですが、友人知人関係・Lineだけの方も綺麗に整理しました。

 

以前のブログにも書きましたが、

自分の答えだけを求める人は結局時間泥棒なのです。

耳障りな事を言えば離れて行きます。

 

これまでもそうでしたが、小さなコミュニティで十分です。

自分の手に負える範囲を大切にして行こうと思います。

 

今日も皆様の大切な時間を使って

ブログを読んで下さり有難うございます。

 

歳をとると体力も落ち頭の回転も鈍くなります。

仕方がないと思いつつそれを克服するため

出来るだけ頭の回転を研ぎ澄ませてようと思っています。

 

日常の中で目にする重要な言葉は直ぐに調べ、

本を読んで気にかかった文字はすぐに書き残しておきます。

 

周りで起きる事にアンテナを張り

それが自分へのメッセージだと受け取って

出来るだけ早く処理していくようにしています。

 

それでも今年は毎日が老いとの葛藤でした。

老病死とじょうずに付き合いながら

来年を迎えたいと思います。

 

 

今日も皆様の大切な時間を使って

ブログを読んで下さり有難うございます。

 

 

人生は波乱万丈であります。

以前、お師匠様が私に

「落とされた時程、上がれるのですよ」と

言ったことがある。

 

思いも寄らぬことが襲ってきても、

それは神仏がその人に成長を促す時です。

 

私も何度も経験してきましたが、その度にこの言葉を

思い出してまた立ち上がりました。

 

有頂天になっている時程、自分を見失います。

高いところに登り詰めるほど周りの景色は小さくなり

見えなくなります。

成功してもそれはひと時の夢幻です。

 

常に奢らず謙虚に自分の置かれている状況を分析し

一日一日、感謝の気持ちを忘れずに生きて行きましょう。

 

そうして魂は磨かれていきます。

この世に生まれたのは魂を磨くためですから。

 

今日も皆様の大切な時間を使って

ブログを読んで下さり有難うございます。

 

 
琵琶行は白楽天によって書かれた詩ですが、
落ちぶれた役人が流浪の琵琶奏者と出会い
互いの境遇に共感し重ね合わせ
人生の栄枯盛衰や無常さを感じさせるものを描いています。
また、この詩は琵琶の音色が繊細に描写され
見ず知らずの人と心を通わせる情景を
見事に詩にしています。
 
白楽天の詩にあるようにどんなに栄華を誇っても
人生には限りがあり常に変化し続けます。
そして生老病死は生きてる全てのものが経験し
受け入れなければならないことです。
 
毎日毎日を精一杯生きること、
そして同じ地球を生きる者同士が見ず知らずであっても
心を通わせ助け合い命を尊び合うところに
魂の不老不死があると思います。
 

 

今日も皆様の大切な時間を使って

ブログを読んで下さり有難うございます。