昨日のが遺書にならなくてよかった^^;
わざわざ口に出してアピールしなくとも、こちらと同じように相手もあなたをしっかりと見ています。謙虚になるためのとても重要な要素は、「相手を信じている」と、どっしり構えていられる姿勢にあるのです。
今朝、難なく起きれました。
爽快によく寝ました。
さあてね。
話は変わって。
私には謙虚さが足りないんだそうです。
辞書で調べると。
謙虚[名・形動]控え目で、つつましいこと。へりくだって、すなおに相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。「―な態度」「―に反省する」
だそうです。
そして私が謙虚だと思っていた事は、遠慮だそうです。
遠慮[名](スル)人に対して、言葉や行動を慎み控えること。「―なくいただきます」「年長者への―がある」「この部屋ではタバコは―してください」
辞書で調べるとね、あんまり違いがわからないんだけど、最近なんとなくわかってきました。
自分のが遠慮だって事がね。
それで遠慮って実は、自分を守ってる以外の何もんでもないって事がね。
これ言ったら、嫌な思いさせるかなあ、これやってって言ったら、今忙しそうだし邪魔かなあ.... だから言わないでおこう、ってのが遠慮。
これ、一見、相手のタメを思ってるぽいでしょ。
というか、本人も相手のタメを思ってるつもりなんだよね、それ疑ってないのよね、自分で。
でも、その本心本気でほじくり返したら、嫌な思いさせて嫌われるかなあ、邪魔して嫌われるかなあ、って思ってるんだよね。
結局自分のタメ。
それでね。結局自分の思ってる事言えてないの。
だから相手に何にも伝わってなくて、お互いイライラしたり。
ある意味、めっちゃ傲慢やね。
それに気が付いたのよね。
ああ、じゃあ今までの、全部遠慮だ。
じゃあ、謙虚って、何?
褒められて、謙遜する事?
何か違うよねえ。
ちょっと、いいのを見つけたので引用します。
「謙虚」とは、控えめ、つつましい、素直という意味です。
控えて控えて、隅っこで小っちゃくなっているような態度は、謙虚ではなく「卑屈」と言います。傲慢過ぎる人間と同じように、卑屈過ぎる人間もまた、度が過ぎると周りの人は離れていってしまいます。
控えて控えて、隅っこで小っちゃくなっているような態度は、謙虚ではなく「卑屈」と言います。傲慢過ぎる人間と同じように、卑屈過ぎる人間もまた、度が過ぎると周りの人は離れていってしまいます。
傲慢でも卑屈でもなく、謙虚に生きていくためには、「自分も他人も大事にする」のが大切です。
当然ながら、人間はひとりでは生きていけません。誰もが支え合ってはじめて、ひとりで立つことができるのです。これが「謙虚さ」。
すべては「社会の一部」であるという自覚を持ちましょう。
すべては「社会の一部」であるという自覚を持ちましょう。
「相手を信じられない」という気持ちは、謙虚になるための道をふさいでしまいます。他人に認めてもらいたいがために、過剰に自分を飾ろうとしますよね? 「もっと見てもらいたい!」という気持ちがふくらみ、それが傲慢につながっていくのです。
なぜなら、そのような行動をとる根底には、「他人が自分を見てくれていない」という不安があり、それがひいては「相手を信じられない」に直結しているのです。
なぜなら、そのような行動をとる根底には、「他人が自分を見てくれていない」という不安があり、それがひいては「相手を信じられない」に直結しているのです。
わざわざ口に出してアピールしなくとも、こちらと同じように相手もあなたをしっかりと見ています。謙虚になるためのとても重要な要素は、「相手を信じている」と、どっしり構えていられる姿勢にあるのです。
うーん。
一つ付け加えるなら、自分も信用できてないんだろうな。こうしないと自分は見てもらえる人間じゃないって。
そして、最後に松下幸之助の言葉を。
■耳を傾ける
素直な心というものは、だれに対しても何事に対しても 耳を傾ける心である(著書「素直な心になるために」より引用)
■全てに学ぶ心
素直な心というものは、すべてに対して学ぶ心で接し、そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さを持った心です。(著書「素直な心になるために」より引用)
■価値を知る
素直な心というものは、よいものはよいものと認識し、価値あるものはその価値を正しく認めることのできる心である。(著書「素直な心になるために」より引用)
はい、ちょっと正しい謙虚を理解してみます...,