最近、「ギフテッド」という新書を読みました。すみません、著者名忘れました。
ちなみにギフテッドは、「これ」と言った定義が確立しているわけではないですが、IQ130以上で、ある分野に突出した才能がある人のことだそうです。
すごいなーそんな人もいるんだ、ということではなく、その本はギフテッドが日本の教育制度の中で生きていく辛さを理解してほしいと訴えていました。
日本は年齢で区切って、同じ授業をします。ギフテッドの子にはつまらないを通り越して苦痛。定型発達の高校生が小学1年のクラスにいる感じ(コナン?)。周囲とも話は合わない。じゃあ、授業中に他のことをしていてもいいのかというと、それもダメ。
ちなみにアメリカ、イギリスなどいくつかの国にはギフテッドのためのスペシャルニーズ(特別支援)教室もあります。
2Eとは発達障害をもつギフテッドのことです。なぜか、私が数年前に受けた「特別支援総論」という授業の教科書に2Eについては記載がありました。
2Eは日本語に訳すと(二重に特別)です。2E教室は作らなきゃねと、教科書には書いてありました。
ギフテッドのクラスはいらないのか。(今のところ作る予定はないらしい)
日本では、ギフテッド🟰発達障害のイメージが強いとも書いてありました。純粋にギフテッドだけの人のほうが2Eより多いそうです。
日本は「出る杭は打たれる」ので、ギフテッドの困難さには目を向けないのか。
最近、日本でも主人公が発達障害っ子という作品は増えてきました。ですが、大概「2E」か、発達障害の要素がありながらも一人で社会生活を送っているパターン(つまりは特性が障害になってない)ばかり。これでは、社会に偏った発達障害っ子像ができてしまい、普通の発達障害っ子が、より一層ダメみたいに感じてしまう。
特別支援学級(学校)とは、日本の画一的な学校教育制度ではない、スペシャルなニーズに対応した場のはず。ギフテッドもスペシャルニーズなのでは?
もっと、一クラスの人数が少ければいいのに。色々なニーズにも対応できるのになと思いました。
学校ありきではなく、生徒ありきの学校制度を望みます。