膵臓の腫瘍が発覚した時、ふと
自分の性格が病気を招いたのかも・・・
という考えが降ってきた。
ストレスが病気を招く、とよく聞くし
それは本当かもしれない、と思ってはいたけど
それよりも
なぜ”膵臓”?と思った。
わが家計は確かに癌家系で
祖父と曾祖母は肺、
祖母は胃がんであった。
父が今がんばっているのも、胃がんである。
さて、
現在”がん”ではないものの、私は膵臓。
我が家系で、膵臓に出たのは初めて、である。
以前、前のパートナーの誘いでがん保険に入った際に
保険屋さんに
「女性なので女性ならではのがんに備えていた方がいいですよ」
と言われたことがあった。
その時は自分は、がんになっても
女性特有のがんにはならなさそうだと、
なんとなく思っていた。
実際は、子宮頸がんの中度異形成まで発覚したのであるが
それは結果的に消滅しており
実害がでたのは、やはり
どこかで危惧していた消化器系であった。
自分の腫瘍の話をすると、たいがい
”膵臓”という言葉に驚かれる。
―若いのに。
―お酒も飲まないのに。
といった具合に。
本当に私もそう思う。
腫瘍発覚で絶望の淵にいた私は
なぜよりによって膵臓なのか…と考えを巡らせた。
そんな中、
性格・感情と臓器がリンクする、という記事を発見した。
所謂、中医学(陰陽五行)や東洋医学的な考え方である。
その考え方によれば
「五臓と感情は密接な関係にあり、
ため込んだ感情が臓器を痛めつける」
のだそうだ。
なるほど。
私の陳腐な頭にふいによぎった考えは
すでに東洋医学の世界ではスタンダードだったようである。
ちなみに
五臓とは肝・心・脾・肺・腎で
相当する感情は
肝…怒(怒りは肝臓を痛める)
心…喜(気が緩む/心臓に負担がかかる)
脾…思(思い悩む/考えすぎて脾が弱る)
肺…悲(憂鬱になり肺を痛める)
腎…恐(気が小さくなり腎トラブル起きやすい)
だそうだ。
もちろん、この五臓に上がらない臓器も
感情や性質と繋がっている。
五臓以外は、
東洋医学+少しスピリチュアルな要素もある気がするが。
私は私の大切な膵臓についても調べてみた。
すると膵臓には
「怒りと悲しみが交互に来る人」とか
「敗北感への恐れ」とか
「無力感」といった性質が書かれていた。
・・・。
なるほど。
なかなか辛辣である。
書かれていた説明だけ読むと、
その性質を持った人物はなかなかに
”自己統合できていない未発達な人”な印象を受ける。
さらに言うと、
悲しいかな、
私自身に、確かに当てはまる部分もある気がした。
私は元来、何かあると
気に入らないものを破壊したくなるくらいの激しい怒りも、
この身を引き裂きたくなる程の深い悲しみも、
持ち合わせた人間だ。
年齢を重ねるにつれ、(そんな激情は)表に顔を出さなくなったが
多分、私がどこかに持つ、本質の一部であることは確かだ。
そして、
私を感情的にさせる問題達への解決法が
この世のどこかに存在していると信じ続けていて
いつになっても、いくつになっても探している。
身勝手に描く、現実離れした結末を夢見続け、
それが故に、届かず、苦しみもがき、
無力さに悲しみ、またいらだつ。
そんなことを、ふつふつと
(心の中だけで)繰り返している人間だと、
自分で自覚している。
そう、三日に一回、いや一日一回、くらいの頻度で。
だから、臓器と感情がリンクしているという考え方が正しいならば
そんな私は、膵臓に問題を抱えているのは、
・・・最もだと言えよう。
「なんで、よりによって膵臓なの?」
その答えは、
私の臓器が一番知っていたのかもしれない。
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6月、先生と再会した時
私はふと先生に
「私、実はすごい怖がりなんですよ。なんか色々心配で~。」
と口走ったことがあった。
「臓器と感情がリンクしてる、っていう考え方があって~」
と続けたら、先生は、
「ほおほお!」と前のめりで聞き返してきた。
考えてみれば、
私よりも先生の方が詳しそうな分野だと思ったので、
「あ、先生の方が専門分野でしたか!」と
恥ずかしくなり、すぐに話すのをやめてしまったけれど。
(ちなみにその会話の締めくくりは
「まぁ、”心配”はしすぎない方がいいですよ。」
との先生のお言葉だった。)
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最近、東洋医学つながりで、
アユールヴェーダでも臓器にアプローチできるのではないか?
と思うようになってきた。
たどればたどるほど専門的になりすぎて
どこまで追えるか自信はないが。
ちなみに、膵臓は”第3チャクラ”に当たるらしい。
ヨガに少し興味を持ち始めたこの頃であるが
通うには時間的余裕がない。
まずは、”第3チャクラ”なるものを整えるヨガのポーズを
自己流からでも
始めてみるのもありかもしれない・・・
と
そんな風にも、思っている。