5年位前に勤めていた老人ホームに峰保昌少尉の恋人だった方がおられ、その当時で93歳でしたが、峰保昌少尉との思い出を鮮明に記憶。峰少尉から贈られた短歌の数々も記憶しておられました。お聞きした短歌を゙書き留め、パソコンでポスターを作成し、その方のお部屋に貼り付けたものでした。

 峰少尉との思い出話をその方の息子さんが宮日新聞に投稿したところ採用され、また夕方のニュースでも取り上げられました。

 私はその方と峰少尉との思い出話を聞くのが好きで、新聞の切り抜きを持って知覧平和記念会館に行き、展示されている峰少尉のお写真を拝見した時には涙が溢れました。その際、知覧平和記念会館の方に新聞の切り抜き記事を見て頂いたところ、ぜひその方にお会いし直接話を聞きたいからと、都城市の有料老人ホーム迄お越し下さいました。

 その後私は、米駆逐艦エドモンズの特集が開催された時にも会館へ足を運びましたが、その時に峰少尉の辞世の句と桜の花びらが展示してあり、感動で涙が止まりませんでした。

 峰少尉は教え子達の訓練時には厳しく接しられましたが、甘い物があると教え子達に持って行ったり、その方にもとても優しく、飛行機に乗ってみたいというその方のお父さんを訓練機に乗せて下さったこともあったそうです。

 戦況の悪化に伴い、都城から国富へ異動、鳥取県や千葉県など各地を転々とされたそうですが、その間も峰少尉とその方は手紙でのやりとりを続けたそうです。

 そして1945年(昭和45年)4月3日頃、「お世話になりました。みなさまのご多幸をお祈りします」との手紙を゙受け取り、遺書代わりの手紙と分かり泣き崩れたそうです。

 その数日後の4月6日午後7時頃、自宅前から長靴の音が聞こえ、玄関前でその音がピタッと止まり、その方とご家族とで玄関を開けてみたところ、人影はなく、その後新聞記事でその日峰少尉が特攻で出撃し沖縄の海に散ったことを知ったそうです。

 あの頃私は、心から峰少尉に憧れ、今も誠隊の方々に感謝と尊敬の念を持ち続けています。

 今回「すみれの備忘録」さんの動画に辿り着き、峰少尉への思いが再燃致しました。

 数多くの動画が出ていますが、すみれさんがアップされた「沖縄に眠る九八式直接協同偵察機と米駆逐艦エドモンズ」の動画は私にとって宝となりました。

素晴らしい動画を゙上げて下さいまして、本当にありがとうございます🙏

 あの当時、その方から峰少尉は長崎出身の方で、身寄り等の情報は乏しいと伺っておりました。

 その後その方は別の老人ホームに移られ私も退職をしたので、その後は不明ですが、私の中ではいつまでも峰少尉とその方の思い出が憧れとして残っています。今後もすみれさんの動画を時々拝見させて頂いては、感動を繰り返したいと思っています。

 久し振りに素晴らしい動画に出会い、大きな感動を得る事が出来ました。

感謝感謝です。本当にありがとうございます🙏