入園生活7日目の今日は
幼稚園をお休みしました

私の祖母が亡くなり
告別式に参加するためです。

昨日は幼稚園から帰ってきてから
お通夜に行きました。
夫に送り迎えしてもらえて
助かりました。

祖母とお別れした今日
祖母との思い出を残しておきたいと思います





私の父の母である祖母は
とてもアスリート気質な性格でした照れ

大正15年生まれ
生みの親と育ての親が違い
誕生日もおそらく5月3日とのこと!

生みの親はお医者様だったようで
その血を受け継いでいるのか
数字にとても強かったです照れ
時間にとにかく厳格で
待ち合わせ時間15分前スタンバイは
当たり前キラキラ
青春時代は戦争で
本当の青春は60歳になってから
が口癖でした


我が家は親族全員横浜市民だったので
お正月や誰かの誕生日
クリスマスなどの行事には
よく祖母を招待していました照れ

60歳の時に夫である祖父が亡くなり
以後31年間ずっと
一人暮らしを貫きました。

あまりタクシーを使わずに
健康のために40分かかる
アップダウンが激しい道を
歩いて我が家まで来ていました。

子どもの頃からのお決まりの記憶は
どんなにみんながパーティで騒ごうとも
盛り上がろうとも
20時になると

「さぁ!時間だ!帰ります足

後は若者で楽しんでウインク
と言って大好きな韓流を見に帰って行きました

韓流が大ブームを起こしていた当時
祖母がよく口にしていだ言葉

「世の中の韓流ブームのコースと
おばあちゃんのコースは違うからラブ
と自慢げに照れ

韓流にも見るものの傾向のようなコース
があるようで祖母に
「おばあちゃんはどのコース?」
と聞くと決まって


「ペ・ヨンジュンコースハート


と明らかに王道のコースを
嬉しそうに堂々と言っていました照れ


ペ・ヨンジュンのために毎回
決まった時間に帰っていく
おばあちゃんを
兄がウルトラマンと
名付けていました照れ


私のお誕生日になると
毎年電話をくれて
それも必ず1ヶ月前
早い時は3ヶ月前笑い泣き

待ち合わせて
プレゼントを買いに行くデートを
たくさんしました照れ


わたしが
「ブーツが欲しい」
言えば事前に百貨店に向かい
下調べをしてくれて


「キムタクの相手役が履いてたみたいな
ブーツがあったからそれが
いいんじゃないの?」


とか


赤いコートが欲しいと言った時には
なかなか見つからなくて
何件も一緒に回って
見てくれたりとか

毎回の1番の楽しみは
疲れた時にするお茶ハート
そこで恋愛相談をしたり
韓流やドラマの話をしたり
1番しあわせな時間でした照れ


本当に健康でアクティブな祖母でした


祖父が亡くなり
60歳になってから
社交ダンスをはじめ
12センチのヒールを履いて
踊る祖母💃

92歳で亡くなるまで腰は
曲がることがありませんでした。


80歳を過ぎた辺りから
祖母の同級生が次々と亡くなっていき
「取り残されてつらい」
と一度だけ弱音を吐いたことがありました


私が夫の転勤で熊本に行った時
86歳で初めて飛行機デビューした祖母飛行機
後にも先にも飛行機に乗ったのは
この時だけでしたが
いくつになっても初めてのことは
楽しいものだよ照れ
と言っていました

当時は慣れない土地に不安もあったので
この言葉に励まされました!


私が次女を産んですぐに
熊本地震があった時は
本当に心配してくれて
「できることならかわってやりたい」
と何度も何度も言ってくれました



そんな祖母にすい臓がんが見つかったのが
去年のこと(2017年11月)
自分のことはきちんと知りたいと
お医者の告知をしっかりと受け止めていました

告知されてから祖母に会ったのは12月のこと
あんまり痩せた姿を見せたくないと
言う祖母を押し切って
病院まで車で送る🚗と言う
理由付けて会いました

その時の痩せた姿を見て
私は涙を堪えきれなかった。。。

そんな私に祖母は

「おばあちゃんには子どもがいて
孫もいてみんな立派に育って
ひ孫(7人)もたくさんいるから
こんなに幸せな事はない
十分に自分の人生を全うできたから
笑って送り出してちょーだい照れ

と笑って言っていました

それから癌の進行が早く
3月28日に
緩和病棟に入りました

どうしても娘たちを合わせたくて
4月3日に祖母に会いにいきました

普段はどんなに静かにしなさいと言っても
うるさい子どもたちが
おばあちゃんの側にちょこんと
座っておばあちゃんの手を
握っていました

祖母ももう起き上がるのもつらい中
起き上がって子どもたちを抱きしめ

たくさん楽しいこと見つけてね」

と言っていました

それが祖母と会った最期でした


お通夜に
告別式

祖母が望んでいたように
みんなで明るく
楽しい人生を全うできた祖母を
送り出しました


でも


やはりこのブログを書いている今
悲しみがこみ上げて来ます


何が悲しいって
自分のことを当たり前のように
無条件に愛してくれて
どんな時にも思っていてくれた
心の支えが
なくなってしまったことが
1番つらい

身体の一部が悲鳴をあげています。

告別式で最後に長女が
祖母の写真の前で


「おばあちゃんにしてもらったこと
ぜったいに忘れないからね!

言っていましたえーん

娘からもらうものがありますね

祖母との思い出を胸に
これからも新しいことにも
楽しみを見つけていけるような
生き方をしたいと思います


たくさんの感謝の気持ちを込めて








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