こんにちは~~!
アメブロの書いた記事を
「複製(コピー)」という機能を
使ったはずなのですが、
コピー元がなくなり、
コピーもなくなったという…
摩訶不思議な現象がおこり
狐につままれた
人生改善屋「ふ~みん。」こと
堀池典代(ほりいけふみよ)で~す
まぁ、さして困らない記事だったので
そのまま放置~~
【 「そうだとしたら?」という問いは、必ず自分を成長させる 】
心理学では
『投影(の法則)』というのを
学びます。
『投影』というのは
『鏡の法則』ともよばれていて、
「目の前の対象はすべて自分の心(思考)を映し出す鏡だ」
という考え方です。
このことを理解していても
「私があんな人だなんて思えない!(思いたくない)」
「あの人の考えは間違いだ!」など
と思いたくなるのが、
わたしたち人間です。
心理学を学んでいても、
うっかり『投影』だということを忘れて
相手の批判や文句を思ってしまっていて
まさか、
相手が自分の心を映し出しているなんて
思えないものです。
でも、こんな風に
先人の教えがあるのだから、
この学びを自分のものにしたいと
ワタクシ日々励んでおります。
私は
心理学を学びはじめたときから、
いつも自分の心の中に
「そうだとしたら?」と
問い続けてきたように思います。
例えば、私はときどき、
電車の中にいるときに
どんな音(人)が一番耳(目)に入ってくるのか?
観察する時間を持ちます。
車両の向こうのほうで
泣き叫ぶ赤ちゃんの声がします。
私の心の中で
「わたしは何か泣きたいことがあるの?」と
自分に問いかけます。
そうすると
困っていることが
いくつか浮かび上がってきます。
ほんとうは、それが
「泣きたいくらい困っている」
と自覚が持てると
少し気分が楽になります。
また他の時には
他の人がとてもイライラしてるように感じて
自分もイライラしだしたりします。
うっかり、私がイライラしているのは
「この人のセイだ」と思いがちですが、
「そうだ、私のことだった」と
先人の教えを思い出し
自分に問いかけます。
私は
「そもそも何にイラついたり
怒ったりしているんだろう?」
そうすると、
決して目の前の人に
怒っているわけではないことに
気が付けますし、
そもそも何かに
イライラする原因があった
ことにも気付けます。
話が重複しますが…
私は何人かの心理学の師匠から
指摘されることや疑問も
「そうだとしたら?」と思いながら
持ち続けてみることを
してきました。
この問い
「そうだとしたら?」というのを
持ち続けてみると、
時間がかかったとしても
必ず答えはやってきました。
このことは後に
とても大きな気付きになりました。
私はこの経験から
疑問を持ち続けることが
とても自分の成長に役立つと
感じています。
心理学を学びしばらくした時、
私は、いつも問題の核心に触れると(←その頃は自覚がありませんでした)
師匠に「わからないんです」と
伝えていたときがありました。
ある時、私は師匠に
「もっと考えなさい!」と
叱られました。
師匠は、私が
「わからない」ということで
問題の解決をサボっていることを
見抜いていらっしゃったのだと思います。
「私は違う」(否定)
「わからない」(切り捨て)
と思っていると
成長はそこで止まってしまいます。
「私は違う」「わからない」からと
切り捨ててしまうと
一瞬は平和に感じるかもしれませんが
またそのうち切り捨ててはおけない
事象がやってきてしまいます。
もっと酷いことが起こる前に
どうしてあんな酷い出来事を
起こしてしまったのか
自分事として考える必要があるのです。
そして
自分事として捉えられたとき
根本原因に辿りつき
必要な癒しが与えられ
現実を変えていくことができます。
しかし、まったく自分事として
考えたくないのも
人間だもの(みつを )であります。
そこで私がやったことは
「『私は違う』と思いたいんだな~」と
自分を受容することでした。
自分が自分を責めないことが
大切です。
時間が経っても
やはり「私は違う」と思ってしまうときにも、
「私はまだ『私は違う』と思いたいんだな~」
と思うことでした。
『わからない』に関しても同様で
「私は『わからない』と思いたいんだな~」です。
ほんとうは自分(無意識)で
この事象を招いていたはずですが、
理由がわからないとき
「まだわかりたくないんだなぁ~」と思いました。
自分は自分に
何を隠そうとしているのでしょうか?
どんな答えが出てきたとしても
自分が自分を責めない
と感じた時に安心して
その答えが自然と出てくるような気がします。
明日は、
この問いかけから出てきた
私の中にあった一つの答えを
ご紹介します。
お楽しみに~~
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