~命日~その②
何の前触れもなく、
大切な人がいなくなっちゃうのって、
本当に応えますよね
突然すぎて、
小学校3年生のわたしには到底受け入れらなくて、
処置室で、
『おばあちゃんがいないと生きていけないよ』
と泣きわめいたのを覚えています
処置して下さった先生が、
天井の1点を見つめながら、
涙を流して下さっていたのを覚えています
そのとき、
様子を見ていたひとりの看護婦さんがわたしに、
メモ用紙を下さいました
そこには、
『今はとっても悲しいですね。とてもつらいです。
でも頑張って、おばあちゃんの分まで生きて下さい』
と書いてありました
正直、この言葉には、
何度も何度も支えられました
なんで好き嫌い言わず、
何でも食べてあげなかったんだろう・・・
なんでわがままばかり言って、困らせたんだろう・・・
制服姿見せたかった・・・
成人式の着物姿も見せたかった・・・
結婚式のドレスも見て欲しかった・・・
ひ孫だって・・・
わたしの成長する姿を見て欲しかった・・・
安心させてあげたかった・・・
なんでいなくなっちゃったの?
お恥ずかしい話、
祖母が亡くなってから20年程経っても、
こう思ってしまうことがあります
“○回忌”といった法事のときには
いつも泣いています
いつまで経ってもわたしは、
心配ばかりさせる孫のままです
でも、なんでなんでと後悔しても仕方ありません
今、わたしが母と仲良く、
親戚と仲良く、
家族と仲良く暮らしていることが、
何よりの供養だと信じています
頑張って、祖母の分まで生きなくちゃいけません
おばあちゃん、可愛がってくれてありがとう
今でも、そしてこれからもずっと大好きだよ!!
~命日~その①
昨日3月2日は、祖母の命日でした
祖母はわたしが小学校3年生のときに、
突然逝ってしまいました
66歳でした
わたしは、母子家庭で育ちました
今の姫よりもっと小さかったと思います
その頃(2歳になる前)、母は離婚しました
なので、
祖父母の家の近くに住み
祖父母の手をかりながら大きくなりました
祖父母の家で、仕事から帰ってくる母を待ち、
ご飯を食べて、お風呂に入って家に帰っていました
とても小さい祖母でした
『あと1、2年もすれば、
わたしの方が背が高くなるね!!』
なんてよく言ってました
そして、優しい祖母でした
でも、厳しいときもたくさんありました
一番良く覚えてるのは、わたしが3歳になったばかりのとき、
母と祖母と3人でスーパーに行って、
2人が買い物している隙に、
わたしがそのスーパーから、ひとりで帰って来てしまったときのことです
祖母の家まで1キロ以上はあったと思います
母と祖母のは誘拐されたのではないか?とか、
本当に心配したようです
祖母は帰って来るなり、すごい勢いでわたしを叱り、
おしりを何回も叩きました
3歳でしたが、そのときのことは今でもよく覚えています
すごく心配性だったんです
遊ぶに行くにも、
どこに、誰と、何をしに行くか。。。
など、聞かれました
あまり遠いと、行ってはいけないと言われました
それだけ、可愛がってくれたんですよね
そんな祖母が急死した日。。。
朝から雨が降り続いていました
祖母は体調を崩し、少しの間入院していました
その日、小学校から下校し、
いつものように祖父母の家に帰りました
すると、入院中の祖母から電話がありました
いつもなら、
『☆千っ歩☆か?元気か?もう学校終ったのか?』
とか、聞いてくるのにその日は、
『おばあちゃんだけど、おじいちゃんにかわって』
何か急いでいるように、それだけを言われました
これが、わたしの聞いた祖母の最後の言葉です
そしてその夜、
病院から祖母が倒れたと連絡があり、
病院に行きました
大丈夫だと思っていました
でも、そのまま亡くなってしまいました
風邪・・・(ノ△T)
昨日の朝、のどが少し変で、
午後になったらだんだん痛みが増していって、
夜になったら、すんごぉぉく痛くなっちゃいました(∋_∈)
ゴックンとか、何もしないでも痛い・・・
薬、飲みたいです
けど、授乳中
飲めましぇん(ρ_;)
病院に行けば、
授乳中でも大丈夫なやつ処方してもらえるけど、
行けないし・・・
とっとに『今日休んでくれてもいいんだよ!!』
と言ったら、
あっさり断られました
はい、チ~ン♪(^。^;)
今日は洗濯干したら、寝てようと思いまぁす!!
あはは、おやすみなさい(笑)
もう、何もする気になれません(ρ_;)
困ったもんです・・・
もし、これを読んで下さった方がいらっしゃったら・・・
どうぞ、体調には気をつけて下さいね!!
わたしみたいに、風邪をひくなど、
体調をくずされる事がありませんように・・・☆☆