「偏見」というのは文字通り、物事の偏った見方のことである。
偏見を恐れる理由・・・
何もいわなければ何も知らなければ自分のことを「ひとりの人間」としてみてもらえるのが、
「ある情報」を知ってしまった以上、
その人自身を見る前に「ある情報」がレッテルとして貼られる。
極例だが、
Aさんは窃盗の罪で服役していたとする。
AさんがそれをBさんに話したその瞬間から、
BさんはAさんのことを頭のどこかで
「盗みをして刑務所にいた」Aさんとして見るようになる。
そしてことあるごとに、その情報が邪魔をする。
前例を作るということ。
きっかけを作るということ。
誰かに知ってもらうこと。
カミングアウトすることから全ては始まる。
きっかけを作るということ。
それは一見簡単そうに思えるが、「偏見に負けない」という覚悟の上である。
信頼した誰か一人にカミングアウトするということ、
それはすなわちその場にいる全ての人に話が廻ることを覚悟の上である。
本当はカミングアウトされた側は、安易に周りに話してはいけないというのが
一応のマナーではあると思うが、さまざまな面でそうもいかない場合が多い。
ただ、「あいつは○○らしいよ」で終わらせては意味がない。本人の覚悟の意味もない。
自分が楽になるためだけならカミングアウトの意味は半減する。
・・・まぁ、話したところで楽になるということでもないのだが。
相手に自分のことを知ってほしい、相手と深く付き合いたいなどの理由のほかに
自分を犠牲にして誰かのために動くという場面も実際多々ある。
自分一人ならガマンすればいいだけの話なのだから。
偏見を持たれてもかまわないという勇気が環境を変えていくきっかけになる。
そしてそこには彼らの気持ちに寄り添えるような理解者の存在が必ず必要である。