ごきげんよう。
あれから気分も少しずつですが落ち着いてきました。

母が心肺停止になった瞬間、私は立ち会えませんでした。


朝早くに容体が急変したようで、私が電話をもらった時には既に心肺停止になっており、すぐに病室へ駆けつけましたが、そこには穏やかな表情で眠っている母の姿がありました。



医師の立ち会いの元、午前9:25分、死亡確認。

私は母の胸下に顔を埋めました。
両方の頬にベソベソ(これタガログ語かな?ヴィサヤ語かな?頬と頬を合わせるアレです。)をし、霊安室へ。

その日は母はすぐに遺体を安置してくださるお寺に行ってしまい、私はひとりで家に帰りました。

現在火葬場が非常に混雑してるようで、母が荼毘に付されるのは24日。死後11日目です。

2017の1月2日に父が亡くなってますが、お正月だった為やはりすぐには予約ができず、6日の日になりましたが、今回はその倍以上待つことに。


コロナの影響ですかね‥‥。


母がコロナ陽性、重篤な肺炎でもうあと数時間ないし1週間、その後はお骨を自宅に届けて下さると当初は言われていたのに、今あれから私は毎日母の顔を見に足を運んでいます。なんてありがたいことでしょう。


キリスト教の死生観は仏教とはまるで違うので、母の魂はもう神様のもとにあり、故人に対して祈りを捧げるのは聖書的にはナシなんです。


祈りはあくまで唯一無二の神様お一人のみ、という考え方です。


日本で生まれ育ってますので仏教の文化や慣習に慣れてしまっている私は毎日母の顔を見に行き、話しかけ、家にいる時も話しかけてます。もちろん神様に感謝の祈りは忘れません。


亡くなる前夜、規則の時間を過ぎていたので『また明日来るね』と何度も言ったのですが、立ち上がって去ろうとすると度に握っていた手に力が入り何度も私を引き止めようとしてました。


もしかして母は何か気づいていたのでしょうか。


あれが最後のコミュニケーションになってしまったので母が可哀想な気がして、毎日母の顔を見に行っています。



ところで皆さんはタイタニックを観たことはありますか?
船が沈み始めているというのに最後まで演奏家たちが、これから天へ帰ることになるであろう乗客の恐怖心を和らげ、慰める為に演奏されていた曲。 

日本の讃美歌では『主よみもとに』というタイトルで、主にお別れ、特にお葬式で歌われる歌でメロディーが非常に美しく切なく、私の大好きな讃美歌の一曲です。良かったら観てみて下さい。


この部分は実話でこの演奏家のバイオリンは後に海底より発見されています。


タイタニックの映像↓
https://youtu.be/ur9JHXirUBs

讃美歌320番『主よみもとに』歌詞


主よ、みもとに 近づかん

のぼるみちは 十字架に

ありともなど 悲しむべき

主よ、みもとに 近づかん


さすらうまに 日は暮れ

石のうえの かりねの
夢にもなお 天(あめ)を望み
主よ、みもとに 近づかん

うつし世をば はなれて
天(あま)がける日 きたらば
いよよちかく みもとにゆき
主のみかおを あおぎみん


少し長くなってしまいました。
最後にお祈りで締めたいと思います。

在天の父なる御神様
母をあなたによって永遠の命へと変えてくださったことに感謝いたします。
この悲しみに満ちた世界で生きる私たち一人一人にどうか神様の愛が豊かに降り注がれますように。
この拙き祈り、主イエス・キリストの御名によって御前にお捧げいたします。

アーメン