🏫中1の2学期から、
「学校なんて私には不要」なんて強気なら良かったけど、結構メンタル的にしんどい日々を過ごしていた不登校経験娘ひーちゃんでした
一方私らびママは
ひーちゃんが生まれる何年も前からたまたま職場が適応指導教室の前のビルでしたから、
なんか、良さそうだな~と思って眺めていたのでした。
多くの不登校児童のママさんは
あんな所に通っても学力伸びないから将来が心配と嘆くそうですが
本当に良さそうだったので、らびママは大丈夫でした。
それは過去の体験にありました❗
にいにい小1の頃、初めて平成での学校の先生との付き合いが始まったのですが
漢字はほんの少しでも形が崩れていたら
大きな❌をつけられてました。
にいにいは、何かと叱られていました
水泳では達成度に合わせて、その先生のクラスでは10級から1級までもらうシステム
1級は50メートル泳げるともらえたのですが
にいにいは楽々50メートル泳ぐので、らびママは当然1級かと思っていたら
なんと10級すらもらえてなかったにいにいでした
びっくりして電話で聞いて見たら顔をつけて泳いでいないからと言う答えでした
(今思えば水に顔をつけれるが10級だったのでしょう)
そんな感じで
にいにいは特別何か得意ではないけれど、心配なほど何か出来ないわけでは無かったのに
いろんな事で先生との意向が合わずにクラス内では特別出来ない生徒の位置づけになっていました。
人としての気遣い等は良く出来るし挨拶もしっかりする子供でしたから他の大人からは褒めていただく事も多い子供でしたが、そんな事は必要ないと言う方針の先生でした。
適応指導教室の話しに戻って
ある日土砂降りの大雨で動けずに様子を見ていたら、たまたま適応指導教室の生徒と先生達も一緒に大雨で困っていました
生徒のある男の子が大雨の中道路を走って渡って、先生の為に傘を持ちに行ったのです、そしてその傘を先生に渡して自分はまた走って道路を渡り、先生はその好意を受けていました。
にいにいの学級では、自分が濡れて人に傘を渡す等と言う世界はなくて、にいにいがその行動をしたら間違いなくにいにいの先生は
らびママは
ここには普通クラスの忘れた出来る出来ないの2つ以外の大切な物があると感じたのです
そんな経験があったから、適応指導教室に通う事を嘆く母にはならなくてすみましたし、泣き泣き受け入れて行く過程も無しでした。
適応指導教室に行くと言われて
白鷺が2羽木にとまっていました。
最近のひーちゃんは不登校だった自分を時々は客観的に振り替える事が出来ています。
私も忘れていたのですが
娘ひーちゃんが
と言った時
あんまり覚えてないのですけど、私らびママなら言ってたかも~と思います。
先生はじめ、お父さん、長女ピーちゃん、その他周りの大人達も、
「学校に行かないと人生終わる」ぐらいの事を言ってたらしく
私は、頭で考えるより母の直感や本能で対応していた感じでした。
