いよいよ新システム稼働開始日が来た。
前の晩、池田は久しぶりに早く帰宅し、からすみをつまみながら妻と酒を飲んだ。そして23時過ぎにはベッドに入った。
皆の協力を得てシステム稼働の準備はしっかりできていると池田は確信していたが・・・。
『移行データに漏れは無いか?』、『直前で修正したプログラムの置き換えミスはないか?』等々の心配が頭をよぎり、なかなか寝付けなかった。
長野と一部スタッフ達は現行システムデータの最後の移行に立ち会うため、本社に残っていた。彼は前の会社でもっと複雑なシステムの移行にも関与してきたが、今回が一番緊張した。データ移行と稼働確認が無事終了しほっとした彼は、岩見達と缶ビールで乾杯した。日付は既に変わっていた。
稼働開始の朝、プロジェクトメンバーとオブザーバは皆7時に出社し新システムの起動に立ち会った。高岡も6:時30分には社長室に居た。
高岡の「新システムを稼働します。」の一言で全端末の電源がONにされ、メニュー画面に新システムの名称が表示された。新システムの名称は全社員および社外の関係者からの公募により「STEP」に決定していた。新システムの名称表示を確認したメンバーからはひかえめな拍手が起こった。
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新システムが稼働を開始して約一か月が経った。高岡は全社員に下記の内容のメールを送った。
「 新システム導入に関して皆様には通常の仕事に加えて、様々なご協力をお願いしました。お陰様で新システムも無事稼働し、1か月がたとうとしています。皆様のご協力に改めて感謝いたします。」
「しかし私は前から申していますようにシステムはあくまで道具であり、それを使って会社を運営し、改善していくのは皆様です。私は、新しい道具に変わったこの機会にシステムに関する関しないにかかわらず、我社の改善にとって前向きな提案を募集したいと思います。忌憚のないご意見をお願いします。」
色々なチャネルから提案を募集したのが功を奏したのか、多数の提言が集まってきた。プロジェクトメンバーは各提言の内容を検討し採用・不採用に関わらず丁寧に回答をネットに掲示した。もちろん高岡も提言および回答のすべてに目を通して、指示を出した。
多種の提言の中で深堀りすべき事項として、導入前の合宿で論点になった「営業と製造との連携改善」がある。これについては各部門の若手を中心とした『製販企画会議』を創設しで継続的に検討することになった。
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高岡は、経営会議を終えて社長室に戻ったところだ。
経営会議は次長以上が参加し、全社の課題について話し合う会議である。彼は、内容を伝達するだけの不毛な会議は極力実施しない方針であり、今回の経営会議も討議課題を出席者に事前に通知していた。今回の主要課題は「顧客別利益の向上」である。
今回のシステム導入によって高岡が要望した内容の大半が実現できたと考えている。彼の要望の一つに顧客別営業利益の算定があった。もちろん完璧な数字は出せないが、販管費の直課と配賦に関してはなるべく実態を表すように要求した。
その結果、顧客によって営業利益率にマイナス23%~プラス38%までの開きがあることが分かった。特に「特注品」を納品している顧客において利益率の幅が大きい。
もちろん、この結果は想定できるものだったが、儲かっていると考えていた顧客の利益が異常に低いことが明らかになり、営業関係者はショックを受けていた。
「池田さん、河合さん、顧客別利益の分析結果を発表願います。」
「はい社長、私と河合さんで分析した結果をご報告します。」
池田と河合が分析した結果を簡単にまとめると以下のようになる。
・『特注品』を販売している顧客の粗利率は高い。
・『特注品』にかかる販管費が『汎用品』に比較して高いが、今まではしっかり分析がされていなかった。特に営業に関わるプレコスト、アフターコストが高い。
・顧客別営業利益率の幅の原因は営業コストの差にある。
「山田常務、この結果についてはどう考えますか?」
「社長、確かにこの結果は納得できます。しかし、営業コストが多くかかっているのは特注品の大口受注先であり、初期の受注時については営業コストが膨れるのはやむを得ないと思います。」
「そうですか?私は初期受注においても営業コストを下げる方策はあると思いますが。」
その後、約2時間にわたって議論が続いたが、その中で出た論点を整理し次回の経営会議までに各自改善案を提示することで会議は終了した。そして高岡は今社長室に居る。
ほぼ一年前にシステムのリニューアルを決断した時と同様、彼は隅田川の流れを見ていた。その時とちがい今日の隅田川は、荒れていた。
彼は、今回のシステム導入は業務の効率化も含み一定の効果をあげたと考えている。
しかし、新システムの名称『STEP』が意味するように、新システム導入はT工業にとっては1ステップでしかない。
彼としては近いうちに新たな決断をしなければならないと考えていた。
この物語はフィクションであり登場する企業・人物は架空のものです。
「新社長の決断」システム導入編 完 高石 貢(著)
長期間のご購読ありがとうございました。
あとがきを「筆者のつぶやき4」に掲載する予定ですので、こちらの方もお読みいただければ幸いです。