四十なかばで老婆心というのもおこがましいが、
ちょっとした懸念が最近ココロの中を駆け巡る。
2012年、過去にあったあの時代に酷似していて・・・
これからの数年が心配でならない。
1986年から52ヶ月続いたバブルは1992年に崩壊する。
投機に沸いた日本を構成していた経営者や労働者は、
その砂上の楼閣を失い、それまでの先人、日本人が築いてきた、
勤勉な自立・学び検証する向上心に戻ることなく、
その砂上の楼閣と同様の信奉を、
精神的な結びつきというフェイクににスライドをさせた。
ネットワークビジネスという悪花が開花し、
コンサルティングや異業種交流会と名を変えた、
人の投機ビジネスがビジネス道徳的であるかのように誕生する。
そして、できるはずのない内閣が誕生。
第81代 内閣総理大臣 村山富市 組閣、村山内閣。
52ヶ月以前の、理知的で道徳的であろうとする精神は、
この52ヶ月で完全に日本人のDNAから消え去り、
ビジネスの場で理知的であり続けなければならない立場のものこそ、
スピリチュアルともいえるような手法に金儲けの術を変化させていく。
最初は、ちょっとした頭のよい一握りの人間のアイデアだったのかもしれない。
それは、投機を失った日本の大人の心の奥底に、とってかわるように入り込み、
52ヶ月の間に発達した、論理的思考さえも忘却の彼方へ押しやった。
その大人の行為は、若者や子供達の思考に少なからず影響を与え、
ずるがしこく調整することのできない若者は、判断のバランスを失っていく。
できるはずのない内閣が誕生した翌年、あの事件は起きる。
その数年後から始まり、現在まで続くデフレスパイラル。
52ヶ月の教訓は、生かされることなく今を迎えている。
されるはずがない、なぜなら、あの時代をすり抜けた者たちが、
今の時代のリーダーになりつつあるのだから。
当時、六本木のど真ん中で、シェーカーを振りながら、
色と欲にまみれた大人達の振る舞いをみていたが、
彼らには特有の後ろめたさが感じられた。
あれから、ちょうど20年。
同じような手口で進化もせずに、人を集め、人をだます。
但し、その人物たちの目には、20年前にみた大人と同様の
“ 後ろめたさ " を全く見ることができない。
それどころか、それを、真理などと、心から思っている。
もしかすると、2013年の7月、あの時と同じように、
できるはずのない内閣がまた誕生するのかもしれない。
ICT時代のこどもたちには、こんな大人の目を、情報という武器で
しっかりと見定めて欲しい。
学ぶことの価値は、知識を保有することではない。
理知的な判断ができるために、知識の保有が必要であり、
そして、その知識が、世界のなかで、
たったひとりの自分の価値を創出する。
だからこそ、学ぶことは尊いのである。
