あれから数日、私はテギョンさんと会話らしい会話はしていなかった。
もともと忙しいテギョンさんは毎日帰りも遅く、同じ家に住んでいるのに朝あいさつをしたきり次に話をするのは翌日ということもよくあることで・・・
ううん、違う。本当はわざとテギョンさんを避けていた。
皆といる時はさりげなく視線を逸らしたり、シヌさんに話しかけたりして。そこにジェルミも交ざって三人で笑っていると、そのうちテギョンさんはムスッとしてどこかへ行ってしまう、そんな感じだった。
ここに来たばかりの頃もそうだった。
その頃に戻っただけ、そう思えばいい。
私はシヌさんの彼女なんだから。
私はシヌさんを好きになるんだから。
ううん、それも違うかも。
シヌさんがテーブルにカップを置いてくれる。いつもの赤いマグカップ。
湯気が立ち上り、お茶のいい香りがして。
ソファーが沈むと、ふわりとシヌさんの匂いがする。隣に座ってるだけなのに、こんなにもドキドキするのは、きっと好きだから。
これから好きになるんじゃなくて、きっともう好きになってるんだと思う。
私が好きなのは、私の横で穏やかに微笑んでいる人。
それ以外のことは、考えなければいい・・・
テギョンさんは今日も遅くなるからって、四人で晩ご飯を食べ、食器を洗い終わった私は捲っていた袖を戻そうと左腕に目を向けた。
包帯はなくなったけど、傷跡はしっかりと残っている腕。腕の痛みよりも胸の痛みを感じると、私は傷跡を覆い隠すように袖を元に戻した。
「ミニョ」
耳元で囁くような声がして、同時に背中が温かくなる。伸ばされた腕が身体を包み、私は心臓が止まりそうなほど驚いた。
「あっ、あのっ、シヌさんっ、ちょっとこれは、マズいんじゃないかと・・・」
「どうして?」
真っ赤になってじたばたと暴れる私の身体は解放してもらえず、焦って上ずった私の声とは逆に、笑いを含んだ落ち着いた声でシヌさんは聞いた。
「だっ、だって、こんなとこ、誰かに見られたら」
「恥ずかしいです」 そう言おうとしたのに・・・
「誰か?誰かじゃなくて、テギョンだろ?」
私はシヌさんの台詞に、言葉が出なかった。
「テギョンに見られるのが嫌なんだろ?」
さっきの笑いを含んだ声じゃない、冷たく言い放つような声に私は身体を硬くした。
しばらくの沈黙の後、私の身体を包んでいた腕からフッと力が抜けた。しかし解放されたと思ったのも束の間、肩を掴まれた身体は今度は正面から抱きしめられてしまった。
「えっ!あっと、あのっ、シヌさんっ!」
シヌさんの腕から逃れようと胸を押してみるけど、背中に回された腕には更に力が入り、私の顔はシヌさんの胸にピッタリと押し付けられた。
「俺達、恋人同士だろ?」
耳に響くその言葉が私の動きにブレーキをかける。
憶えていない私に、本当ならすぐにでも告げてしまいたかったであろう言葉を、私が気づくまで胸の中にしまっておいてくれたシヌさん。
私の抵抗は酷くシヌさんを傷つけているんじゃないかと思うと、押していた腕から力を抜いた。
『テギョンに見られるのが嫌なんだろ?』
数時間前のことが頭をよぎる。
暗い部屋の中、眠れない身体を持て余していた私はベッドの中で大きなため息をついた。
でも、ちょっと気分転換に・・・なんて部屋から出るんじゃなかった。
そう思ったのは、お水を飲もうとキッチンへ行き、そこへ丁度帰ってきたテギョンさんとばったり会ってしまったから。
私はテギョンさんを避けていた。それは私の心が揺れないようにする為には必要なことだと思ったから。
いつもなら、誰かに話しかけたりしてさりげなさを装い逸らしていた視線も、二人だけの空間ではあからさまになってしまう。
それは判ってるんだけど、テギョンさんと目が合った瞬間、「お帰りなさい」と言った私の身体は、テギョンさんに背を向けていた。
「どうして俺を避ける?」
逃げるように階段へ向かっていた私の腕をテギョンさんが掴む。
「別に避けてなんて・・・」
「避けてるだろ、俺の方を見ようとしない。今だって急いで上へ行こうとした」
イライラとした仕種に険しい表情。
当たり前よね、誰だって意味もなく避けられたら、いい気分はしないと思う。
でもその理由を言えない私は、とにかくその場から離れたかった。
「俺が嫌いか?だから避けるのか?」
「寝ようと思っただけです」
そう言って部屋へ行こうとしたんだけどテギョンさんは手を離してくれず、強く掴まれた腕は彼の方へと引っ張られた。
!!
思いもよらないテギョンさんの行動に私の思考は一瞬停止した。
それでも心臓はいち早く反応し、痛いくらいのスピードで血液を全身へと送り出す。
背中へ回された腕。密着した身体からはテギョンさんの体温が伝わり、その呼吸からはわずかにアルコールの匂いがした。
「ミニョ・・・」
頭の上から呟くように聞こえてきたのは、初めて聞くテギョンさんの私の名前を呼ぶ声。
この状況をどう捉えたらいいのか判らず、あまりのことに驚き固まっていた私の視界の端に、キッチンのテーブルに置かれたシヌさんのティーポットが映った。
テギョンさんが言ったように、私達が出会ってしまうのが必然だとしたら、そこには一体どんな意味があるんだろう?
もしも私の立場を自覚させる為だとしたら・・・そんなものはいらない。
「やだ・・・離してください!」
テギョンさんの腕を振りほどきそこから逃れると、私は後ずさるようにしてテギョンさんから離れた。
私を見て驚きの表情を浮かべたテギョンさんの顔が歪んでいく。
冷たく光る目。
強く握られた両手の拳。
「それがお前の答えか」
感情を押し殺したような静かな声を残し、テギョンさんは玄関の方へと姿を消した。
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