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日本教と憲法第9条・・・その1

最近、「日本教」という単語が目につく。

 

 これは山本七平氏の造語であり、日本人の思想を表わす単語として用いるものである。

 興味のある方は調べていただくとよいが、かんたんに説明すると

1.初詣やお宮参りなどの神道、お葬式等の仏教、クリスマスやバレンタインなどのキリスト教などなど、これらを何の違和感もなく受け入れる宗教観

2.行動様式において、倫理、道徳、合理性などよりも「空気」の影響が勝る

 大きくはこの2点であり、これは単に日本人を分析した結果であり、そこには是も非もない。

 また、社会科学としては小室直樹博士がマックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を紐解くために用いられている。


 繰り返しになるけども「日本教」は日本人の思想を表わす単語であり、宗教そのものを指すものではない。

 おそらく「儒教」に近い単語である。


 中国人を理解するために「儒教」を知る必要があるのと同じように、日本人を知るために日本人を分析し、その行動様式を表わすために作られた単語である。


 この「日本教」の真髄でもある「空気」を理解できずに「日本教」という単語のみを扱ったコラムなどを目にするたびに気持ち悪さがこみ上げてくる。


 これらの多くは日本人や「ウヨク(カタカナ表記をすることによって蔑む、小林よしのりが左翼に対して用いた手法を取り入れているとみられる)」を批判するために使われている。

 例えば「日本人はクジラやイルカを可愛がっているが食用として虐殺しているのは曖昧模糊とした日本教の信者であるためだ」など。


 これを分析すると、古来からクジラやイルカを食用として捕獲する文化(空気)があった。近年になって豊かさゆえかこれらの動物を「かわいい」とされる文化(空気)が生まれた。これらはその場の空気に応じて使い分けることができ、そこに論理的矛盾が生じてもその場の空気が勝り矛盾は無視される。

 この矛盾を分析した結果が「日本教」であり、矛盾の原因として用いるためのものではないはずだ。


 ここまでを前提として、次は憲法第9条の矛盾について考えていきたい。