この前、外周りの仕事をしていた時のことです。ある一軒家に張り紙がしてありました。クリスチャンのお宅らしくマザーテレサの言葉に目がとまりました。{神は実りのない人生を送った人達にも愛を与えてくださる}みたいなことが書いてありました。なんか妙にスーとしたんです。その時は、息子のこと、会社のことや何かで鬱にくわえパニック寸前それを抑えるため、外回りに出ていた状態だったので、その言葉が入って来たのかもしれません。ソウカ実り少ない私の人生でも誰がみてなくても神という存在が認めてくれるんだと救われたようなきがしました。私はクリスチャンではないので普段神様を感じることはないけれど、強い味方を得たような感覚でした。

だからって、今日も軽い鬱で、会社の同僚には切れかかり、家に帰ってぐったりはかわりません。でもこうしてブログ書いて人とつながろうと生きている。神様をに生かされているのかなー。

とりとめない事をかいてしまいました。


先週寮から、脱走した高一の息子が無事見つかりました。息子はレスリングをやっていて全寮制の学校に行ってます。、学校も辞めたいと言っていたのですが昨日息子が信頼している、小学校時代のレスリングのコーチに息子と直接話をしてもらい、なんとかつずけるようおさまりました。(今のところ)息子は闘志満々で強い奴に向かっていく事でやる気を出すタイプで、今の仲間は監督やコーチの言う事を聞いてそこそこレスリングをやって3年間すごせばいいやみたいな感じらしく。要は物足りなさを感じていたようです。環境というのは本当に大事ですね。そこの高校の監督さんは、指導力もあり人柄も私自身は信頼しているのですが、練習環境の事なんて思いもよらなかった。レスリングは格闘技なので練習相手がものすごく重要らしく強い相手や、やる気のある相手が必要みたいです。

とりあえず息子がまわりの仲間にもっと頑張ろうとみんなの前で話をしたみたいです。息子には自分が強くなる事をそうだけど、リーダーシップみたいなものも今回の事で学んでくれたらと期待してます。 つい自分に最も欠けているものを子供に求めてしまうのはいかがなものかと思いますが、だからこそっていうのもありますね。

茨木のり子さんの詩集を最近よんでます。*自分の感受性くらい*という詩の最後の一節 自分の感受性くらい自分で守れバカ者よというフレーズにショックをうけてますというか、叱られてしまいました。

いつも誰かの言葉や今まで仕入れた知識を頼りに生きていて、このブログも自分の感受性から書くことができないでいます。

ほかの人のブログやコメントを読んでいると特に女性のかたの物にこの茨木さんと同じ匂いを感じて、ショックを受けることが多いです。あとはお子さんの絵とか、言っていたという言葉とかにも。感受性そのまま真剣に生きてると凄さを感じることが多い。削ぎ落したいなあいろんなものを・・・とつくずくおもいます。