最近、スマホに替えまして。先日、替えてから初めて信子(義母)に子どもらの画像を送りました。すると、すぐに返信が



信「あーちゃんの顔に傷があるけど、どうしたの?」




と。
まだスマホに替える前、携帯で画像を信子に送っていたときは、実はわざわざ画像のサイズを小さくして、送っていたんです。私、意地悪いですよね。でも、何となく鮮明な画像を送ることがイヤだったんです(信子がアップにして見ているのを知っているから)。

今回送った画像は、スマホに替えてから初めて送った画像。慣れないスマホにサイズを小さくするという作業を忘れていて鮮明な画像のまま送りました。で、子どもらの画像をアップにして見た信子さんは、あーちゃんの傷まではっきりと見えてしまったようです。傷ができた経緯をメールすると、「痛かったやろうな。いっぱい泣いたやろ?かわいそうになぁ」とホントこころから心配してくれるメールが返ってきました。

最近、信子さんのこういう態度が受け入れられなくなってきています。私の性格がねじ曲がっているのだと思います。

他者の立場に立って、その人の気持ちになって考えることができるってすばらしいことです。その人の気持ちになったとき、しんどいこと・つらいことを自分のことのように感じて、ねぎらったり慰めたり…。そういうことができる人になりたいと思うし、そういうことをできる人を尊敬するし、子どもにもそういう人になってほしいと思っているんです。

でも、矛盾だよなぁと思うんですが、正直に言うと、こういう(↑)信子さんを見るとただただ虫酸が走るようになったんです。

信子の夫や夫の親族に対する態度が心ないことをよく見ているので、私の中で信子さんを残酷なところがある人とみています。それに、ある人に対しては心ない態度だけど、別の人には過剰なほどの人の痛みを共感し、親身に心配するという二面性が、すごく戸惑わせます。もちろん彼女が夫やその家族に心ない態度をとるに至った経緯があるので、夫や夫家族に対する態度は別物と考えた方がいいのかもしれません。

でも、私は、信子さんのこういった「心配してますっていう態度」は、気に入った人に取り入るためのテクニックに見えて仕方がありません。信子さんは、「自分が心配していますっていう態度をとると自分のことを気に入ってくれる・褒めてくれる・認めてくれる」ということをどこかでわかって(無意識かもしれませんが)やっているように見えるんです。

もちろんそういうことをするのが人間です。気に入った人に好かれたいがために気を遣ったり、心配したりねぎらったり、必要以上に大げさにそうしたり、それが普通です。信子さんも同じなはずなんですが、どうも信子さんがやると不快です。ということはつまり、私の根底でもう信子さんのことを受け入れられなくなっていて、彼女が何をやってもそれこそポジティブなことをどれだけしても私はその通りに受け取れなくなってきているんだと思います。



今度画像を送るときはサイズを小さくしようと思います。(嫌われても何思われても構わないから画像は一切送らない、というところまで割り切れていません・・・。中途半端にいい顔しーです)



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