昨日3/23の土曜日は、13時から目黒教会にて、港・品川宣教協力体(麻布、高輪、目黒教会)イベントとして、

「東日本大震災8周年を迎えて 「スモールクワイヤ」コンサートと追悼ミサ」

がありました。


「追悼ミサ」は追悼ミサでも、よく上野毛で行われているような、教会やカルメル修道会ゆかりの方の合同慰霊ミサのようなもの、と勘違いしていた私は、まだ麻布に転籍して日が浅く、宣教協力体ゆかりの方で亡くなられている方に知り合いがいるとしたら、高輪教会の友人の息子さんくらいしかいないなぁ…、と出かける前にちょっとためらいがあったのですが、稲川神父様もお見えになるし(笑)、思い切って出掛けて来ました。


早めに会場に着いて初めて、教会のお知らせにあったように「ミサの後にチャリティコンサート」ではなく、先にコンサートがあるのを知り、そんなことなら1時間ほど遅くに来ればよかった(笑)、などと始まる前には変な後悔をしていたのですが…


前半の、イエスのカリタス修道女会のシスター方の聖歌隊「スモールクワイヤ」の被災地支援チャリティコンサートのプログラムは、どこの教会でも聴いたことのないような、清らかな澄んだ美しい歌声で、天使らのようなコーラスを1時間ばかり堪能。

上野毛の聖歌隊に所属していた自分でさえ、教会聖歌隊の練習、特別練習を経ても、こんな美しいコーラスには到底及びもつかないことを思い知らされました。


そもそも発声の仕方からして、どうも自分のいた教会聖歌隊には心得違いがある。このシスター方は、互いの声をよく聴き合っていて、変に高目立ちしたり、他の人が付けてもいないビブラートを心ゆくまで(自己満足の極み!)付けたりなど、我が道を行く歌い手が一人もいないことに感心。

小教区の聖歌隊にいたこと自体が恥ずかしく思われるほどでした。


下にホームページへのリンクを貼っておきますので、CD購入や今後のイベントで美しいハーモニーに触れる機会を探す手立てとしてください。(音声ファイルを聴くことのできるページもあるようです)


後半は、

目黒教会主任司祭マルコ・アントニオ・マルティネス神父様、

我が麻布教会から主任司祭・稲川圭三神父様、

高輪小教区管理者(とミサレットには書いてある)古郡忠夫神父様、

次期目黒教会主任司祭・宮下良平神父様、

4名での共同司式でのミサが献げられ、最後に「東日本大震災被災者のための祈りII」を皆でお祈りして閉会となりました。


お説教は、我らが稲川神父様。

震災から8年経った今でも、家族の許に戻らない行方不明の方がまだ二千人以上もいらっしゃることに触れられてから、東京大空襲で行方不明となった、顔も見ぬ父方の叔父(当時9歳)について、ある日お父様にどんな兄弟だったのかお尋ねになり、お父様の出征の日にザラメをまぶしただけの何の変哲もないお煎餅をあげたところ、大変感謝されたエピソードをお聴きになって、それまでまったくどんな人なのかも知らなかったのに、それ以来その叔父様がその感謝のエピソードと共にしっかりと神父様の心の中に「立ち」、どこか身近な存在として共に生きる方となったこと、震災の犠牲となられた方、犠牲者のご遺族の方のお一人お一人に神様が共にいてくださり、一緒に生きてくださっていること、について話されました。


ごミサの後、シスター方や共同司式の神父様方は、参列者に取り巻かれてそれぞれにご歓談をされていて、私は別々の席でミサに与っていた仲良しの知人を見つけ、一緒に帰るために、彼女が稲川神父様にご挨拶している間、ちょっと離れて待っていたところ、神父様へのご挨拶の列に加わるでもない帰り際のご様子の信者さんのグループで、どこの所属のどなたかも存じ上げない方が、「あの神父様のお説教は大変素晴らしかったですね、何と仰るのですか?」と尋ねて来られ、「稲川圭三神父様ですよ」とお答え申し上げて、(自分が説教した訳でもないのに(笑))こちらがえもいわれぬ誇らしい気持ちになってしまうほど、温かい余韻の残る、ちょっと無理してでも来て、与ってよかったな、と思える追悼ミサとコンサートでした。


いやぁ、神父様、今までの主日のミサのお説教も文句なしに良かったけれど、今日(土曜の追悼ミサ)のは、本当に良いお説教だったよー!!

(…と、東京下町のガキンチョ風に言ってみたい)


宣教協力体が異なれば、普通カテドラルかイグナチオくらいしか出て行かないし、イベントがあることも看過してしまいがちなところ、上野毛にいては多分、与かることのなかった恒例行事なので、ここ数ヶ月の(ひょっとすると、もっと以前から働かれていた?)聖霊の促しに、奇しきお導きをひしひしと感じます。


イエスのカリタス修道女会聖歌隊「スモールクワイヤ」今後の活動予定