いつもご訪問ありがとうございます。
このブログでは、
認知症のじいちゃん(父)との在宅介護で感じたこと、
試行錯誤の経験を綴っています。
皆さまの介護の一助になれば幸いです。
気になるニュースを目にしました。
「救急隊による蘇生中止の方針、241の消防本部で文書化」という内容です。
本人が延命(心臓マッサージなど)を望まない意思が明らかな場合、
一定の条件下で救急隊が処置を中止することを認める取り組みが広がっているそうです。
このニュースを読みながら、
私は先日、救急搬送された時の
じいちゃんの姿を思い出さずにはいられませんでした。
じいちゃんが発した、これまでにない「拒絶」
最近のじいちゃんには、
明らかな変化がありました。
大好きだったお風呂での洗髪を嫌がったり、
飲み物を差し出すと険しい顔で拒んだり。
そして、今回の救急搬送後の治療の最中。
じいちゃんは、今まで聞いたこともないような大きな声で、
何度も声を荒らげていました。
処置を嫌がり、苦痛を訴えるその声。
その声を耳にした時、
私の心には、言いようのない葛藤が生まれました。
「こんなに苦しむなら、痛みが引くまで、ただそっとしておいてあげた方が良かったのではないか……」
良くなるための救急搬送が、
じいちゃんの尊厳を傷つけているのではないか。
そう自問自答せずにはいられなかったのです。
「生きてほしい」と「苦しませたくない」の狭間で
超高齢社会において、
「人生の最終段階」の意思を尊重する動きは、
とても大切だと思います。
家族としては、
一日でも長く、一秒でも長く
「生きていてほしい」
けれど同時に、
これ以上、愛する家族を
「苦しませたくない」
この二つの思いは、
決して割り切れるものではありません。
どちらも本当の愛情だからこそ、
正解が見つからず、私たちは悩み、苦しみます。
伝えられるうちに、伝えておくということ
認知症が進んでしまうと、
本人の本当の意思を確認することは難しくなります。
今回の経験を通して強く感じたのは、
「自分で自分の意思を伝えられるうちに、周りに伝えておくこと」
の重要性です。
どんな最期を迎えたいのか。
何を大切にしたいのか。
それは決して「死」の準備ではなく、
残される家族が迷わないための、
最後にして最大の「思いやり」なのかもしれません。
入院中のじいちゃんは、今、
ようやく落ち着きを取り戻しています。
あの時、
声を荒らげていたじいちゃんに、
私は何ができたのか。
これからも、
正解のない問いを抱えながら、
じいちゃんの「今」に寄り添っていきたいと思います。

