・・と。
そして、親子間の
だいたいの揉め事は
だいたい
こんな掛け違いだったりすると思う。
掛け違いって言うと
両成敗みたいで対等感でるけどさ
大人が、
大人げなく
自分の感情をコントロールできなくて
大人だから言えるような顔をして
大人げない怒り方をして
子どもに甘えて
(無償の愛をくれる自分より
「弱い」存在だから)
ひどいこと言って
そのくせ
あとで堂々と頭も下げない
大人げなさを発揮してるやつ。
ちなみに子どもが
危ないことや
人を絶対的に一方的に傷つけることをしたら
がんがん叱るべきだと思う。
(この点、男子は女子より
圧倒的にその機会が多い気がするから
個人差あっても
男兄弟のママについては、さっき書いた
「親子間の揉め事はだいたい〜」
は当てはまらないかもしれない。
だいたい危ないことを
叱ってるだけかもしれない)
で、
危ないことや
人を絶対的に一方的に傷つけることを
大人に注意される場合をのぞいては
子どもはだいたい、「正しい」。
つたないだけで。
抱いた感情を
ある程度、素直に表現するのは
まだ大人でない子どもに
あるべき権利だし
なにより将来
健全な心を持った大人になるために、
必要なこと。
って意味で、正しい。
だからたいてい、
きのうの私みたいにあぁやって
余裕がなくなった大人が
勝手に不安を抱えて
それをぶつけて
その打ちどころが悪いと
子どもは傷つく・・
そういう構図になっているんじゃないかなと
思ったりしてる。
私自身の子供時代を振り返っても。
そして、
それに気づいて
心のなかで反省して
このブログを書いたけれど
私、
さっき書いたとおりの
大人げなさを適用して
気づいたその場で娘に
堂々と謝ることはなかった。
もう忘れてるかな?
忘れてないにしても水に流してくれたかな?
(なんて自己中な期待だけの妄想!)
今むしかえすことでもないかな、
普通に会話してるし
・・そんな感じ。
ちなみに
一見、普通に会話する日々を
続けて続けて
30越えてから限界がきて
プツンと両親との縁を切ったのが、
「気遣いまくり&自分抑えまくり
&しかもそれをなんともないように
見せるのがめちゃ上手い」娘だった、
繊細タイプの私です。
だって、数々の傷ついたことを重ねて、
言っても聞いてくれない・
分かってくれない親だ
ってところまで悟ったから。
でも
そうやってすっかり余裕を取り戻し
娘の真意(少なくとも
私が庭で妄想した不安よりは真実に近い
はずのもの)に気づいたその日の私は
夜、これから寝る娘に
ふとんをかけてあげてるときに
不意にぶわっと
娘への「大好き」が溢れてきて
ふとんの上から少し、
くっついた

その私の「好き」が伝わったのかな、
そのとき娘が私にポツンと
言いました。
「今日、いらないって言って、
ごめんね。」
紙ヒコーキの件以外にも
いろんなことがあった一日だったけど
その一言だけで
私には紙ヒコーキのことだって
伝わる不思議ね。
そんなこと、言ってくれるのぉ・・?
って気持ちになって
そのまま言葉にしかけたけど
(本当は「そんなこと、言わせてしまったの」
が正しい気がする)
その言葉じゃ
上手く伝わる気もしなくて
少し考えて言い直した。
私「あのとき、さ、娘、
オレンジの紙ヒコーキが
ほしいって言いたかったんだね?」
お母さん勘違いしてしまったの
あとからやっと分かったんだぁ
「そうなの。
オレンジがほしいなって思ったの。
(言い方)間違えちゃった。
ごめんね」
って、娘が言った。
分かってるよ〜、もう分かってるから
大丈夫だよ〜

って感じで抱きしめた。
今書いてて思ったけど
そこでもやっぱり私、
娘に謝らなかった気がする。
娘から切り出してもらい
しかもなんかやっぱり
私が上から目線な感じでのハグ。
ほんと、どっちが子供なんだか
って構図だよねやっぱり。

謝れる母親にならなきゃな。
はじめは勇気いるし
切り出すまでの時間も長いかもしれないけど
繰り返していけば
きっと、気づいたその場で堂々と
謝れるようになっていくかもな。
なにごとも練習だな。

そんなことがありました。
ちなみに2つの紙ヒコーキは
その後、家の中で
息子が片手で「びゅーん」と
飛ばすマネをして遊びまくり
完全に2人分以上楽しんでいたので
その点についても
はじめから問題ありませんでした。
その日のお昼寝の様子。直前まで
2機とも離さず「ビューン」と遊び続けてた。
大好き。