フジワラアツオのブログ

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夏からDIY深さ1・5m父が作った鉄格子を撤

長さ15m堀たくりました。型枠工事していざセメントネリネリいい感じです。


有能な者は行動するが、
無能な者は講釈ばかりする。

by ジョージ・バーナード・ジョー
(アイルランド 劇作家)

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例えば資格をとったからといって、すぐ仕事ができるかというと、そうではありません。

でも、理論を学んだだけで、できる気になってしまうのが、人間ですね。

そして、聞きかじった知識ほど、ひけらかしたくなるものです。

結局のところ、行動がすべてに勝るのですが、時にひとは知識に振り回されます。

講釈ばかりが達者で、実を知らない者は、商品についている説明書のようなもの。

実際の役には立たないものです。


つい先日嫁と子供と三人で、大阪の最南端、岬町にあるみさき公園に行って来ました。
子供は動物が大好きで、見るもの見るものすべてに興奮していました。
キリンさん、ライオンさん、くまさん、ワニさん、ナマケモノさん、おさるさん、ちゃんと公園MAPを見て次にこれを見たいって言うんですが、体験で動物が触れる所があって、アルマジロが近づいて来たんで、わーーって、喜んでるかと思いきや、怖い~ーーって、お前、あかんたれやんって笑。嫁と二人で爆笑。
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でも本当に久しぶりに来ました。僕自身、小さい頃に、しょっちゅう連れてきてもらったんですが、その頃とあまり変わって無いような気がします。変わらないものって大事です~よね。
目の前に僕も母や父に甘えて駄々っ子してる様子が出てきそうで、いい思いでです。『親から子供に、大切なものはそこにある』って感じですね。$フジワラアツオのブログ-image.jpeg

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『坂本 九(さかもと きゅう、本名:大島 九(おおしま ひさし)』
1941年12月10日 - 1985年8月12日)は、日本の俳優・タレント・歌手・司会者。神奈川県川崎市川崎区出身。愛称は九ちゃん(きゅうちゃん)。

『上を向いて歩こう』や『見上げてごらん夜の星を』、『明日があるさ』など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など活動は多岐に渡った。

『少年時代 』
川崎市の荷役請負業「丸木組」の社長・坂本寛と妻・いく(旧姓:大島)の第9子(後妻であった実母にとっては3番目)として誕生。9番目に生まれて、そろそろ名前のネタが尽きてきたことから、「九」と命名されたという説がある。また、「九」の読みが「久」に通じるからとも言われている。
誕生日である1941年12月10日は、第二次世界大戦のマレー沖海戦が起こった日である。第二次世界大戦中に幼少期を送り、戦争中は母の実家のある茨城県笠間市に疎開した。また川崎在住時代、一時松あきら一家が坂本家の近所に転居・在住してきた時期があり、九は松とよく遊んであげたりしていたとのこと。

戦争中の1943年10月26日に発生した常磐線土浦駅列車衝突事故で川に転落し、多数の犠牲者を出した車両に、疎開のために笠間に向かっていた九は母親と乗り合わせていた。ただ、事故の直前に他の車両に移っていたために遭難死を逃れる。成長して周囲の人々にこの一件を聞かされて知り、「笠間稲荷神社の神様が自分を救ってくれた」として、終生信仰していたという。後には、この笠間稲荷神社で結婚式を挙げる。そして、飛行機事故で命を落とした時にも、笠間稲荷のペンダントが遺体の身元を特定する決め手となった。

高校生の時に両親が離婚。といっても家は近所で家族の交流は変わらなかった。九など下の兄弟は母親に引き取られ、姓は坂本から大島に。この前後からエルヴィス・プレスリーに憧れるようになり、右に出る物が他にいなかったと言われるほど、プレスリーの物まねで仲間内の人気者となった。
『バンド時代 』
1958年5月、ザ・ドリフターズに加入しギターを担当していたが、半年後(11月)に脱退。グループを移籍しダニー飯田とパラダイス・キングの一員としてビクターと契約。1959年6月に「題名のない唄だけど」でデビューしたが、ヒットしなかった[2]。
無名時代、平尾昌章、ミッキー・カーチス、山下敬二郎などが出演した、日劇ウエスタンカーニバルに事務所の意向を無視して無理やり出演。バックでギターを弾いていたが、全く知られることはなかった。
『航空機事故死 』
1985年にレコードレーベルをファンハウスに移籍。5月22日に移籍後第1弾シングル「懐しきlove-song/心の瞳」を発売して、再び歌手活動を本格化させようとしていた矢先の8月12日、日本航空123便墜落事故に遭遇、43歳で死亡した。

事故当日はNHK-FMでの仕事を終えた後に、大阪府にある友人の選挙応援として事務所開きに駆けつける途中であった。九は本来、国内移動には日本航空ではなく必ず全日空を使っており、所属プロダクションや妻の由紀子も「手配は必ず全日空で」と指定していたほどだった[7][8]。しかし、当日は全日空便が満席で、飛行機やホテルなどを手配した招待側の側近はチケットを確保できず、仕方なく確保したのが日本航空123便であった。そのため、家族も乗客名簿が発表されるまで日本航空機に乗っているはずがないと信じていた。

しかし、乗客名簿の中に「オオシマ・ヒサシ」と「コミヤ・カツヒロ」(小宮勝広、九のマネージャー)の名が出て、事故に遭遇したことは否定できない事実となった。この事故で運命を共にした小宮は早めに羽田空港へ行き、全日空便への振替を何度も交渉したが、お盆という時節柄叶わず、やむを得ずこの事故機に乗ったという。九、そして小宮の両名は、政治家や著名人が利用することの多いボーイング747SR-100の2階席、右列の前方から4番目に搭乗していた[10]。事故の数日前、「全日空が満席で日航しか取れませんでした」という立候補者の側近からの謝りの電話が入っているが、当時電話をうけとった由紀子は忙しく、また勘違いをしていたこともあり、事故がおこるまでとくに気に留めていなかった(由紀子の後日談)。九は、ハンティング・ワールドのボストンバッグを機内に持ち込んでおり、墜落現場で発見・回収された。その中に録音可能なテープレコーダーが入っていたため、家族は遺言が残っていないかと期待したが、何も録音されていなかった(由紀子の後日談より)。

事故翌日の8月13日には、事前収録の九本人が出演する、フジテレビ『なるほど!ザ・ワールド』200回記念が放送された。この時点では安否分からずの状態であったため、敢えて放送された。墜落から99時間後の16日、家族らによって遺体が確認された(遺骸が発見されたのは14日頃)。
1985年8月17日放送のTBS『キッチンパトロール』では、遺体が確認された翌日であったため、番組冒頭に九の死去を伝え哀悼の意を示すテロップ、収録日を示すテロップが番組の前半と後半に表示されつつ、元気な姿が放送された。

事故当日に当時のNHK505スタジオで収録され、九の最後の仕事となったNHK-FM放送での公開録音は、同年9月に『秋一番 坂本九』として放送された。番組冒頭で九の死去を伝えるアナウンスが流れた。なお、この番組のゲストは欧陽菲菲、生ピアノ伴奏は羽田健太郎。この番組で九は「すてきなタイミング」・「上を向いて歩こう(欧陽菲菲とデュエット)」・「For The Good Times(九が尊敬していたペリー・コモのヒット曲)」・「We are the world」・「親父」・「見上げてごらん夜の星を」・「心の瞳」・「懐しきlove-song」を披露した(オンエアされなかったが、アンコールでは「明日があるさ」を披露)。また、同年6月に「古賀政男記念音楽大賞」で入賞したことに触れ、「とても嬉しかった。これからも皆さんと一緒に、いつまでも歌い続けていきたい」と、将来への抱負を語っていた。

戒名「天真院九心玄聲居士(てんしんいんきゅうしんげんせいこじ)」。墓所は東京都港区西麻布二丁目の長谷寺。墓には「見上げてごらん夜の星を」の歌詞の一部が刻まれている。
また、親交があった石倉三郎夫妻の媒酌人を由紀子と務めることになっていたが、結婚式直前に九が亡くなったため実現しなかった。
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愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

ドイツ初代宰相のビスマルクは、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と語ったそうだが、愚者は自分で失敗して初めて失敗の原因に気付き、その後同じ失敗を繰り返さないようになるが、賢者は過去の他人の失敗から学び同じ失敗をしないようにする。

そうなのかな?

歴史は、その時の権力者が自分に都合の良いように作り替えたもので、後世にになって覆る歴史も多いのも事実だ。
つまり学ぶべき歴史は、作られた美談が多い、そのようなことから何を学べるのだろう。

「賢者は歴史に学ぶ」ある意味過去の権力者の作文をであり、

それに引き替え「愚者の学ぶ経験」は、少なくとも事実である。



参考:http://jibun.atmarkit.co.jp/lskill01/rensai/pwhyf15/pwhyf01.html



よく引き合いに出されているビスマルクの言「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。しかし、久間知毅氏(@HisamaTomoki)によると、「ビスマルクは『自分の手痛い失敗より他人の失敗に学べ』と言ったのであり、歴史の○○に学べとは言っていない」のだそうです。