我が子たちも見ました。
我が子たちは当然、
私が我が家のことも抱えながら
実母を支えてきたのを知っています。
そして、
実母が急に我が儘を言ってくるのも
知っています。
それに対して私や我が家が
笑顔で対応したこともしっかり
わかっています。
我が家で実母が我が儘放題
好き勝手言って&やって...という姿も
勿論覚えています。
私が笑って許してきたこと、
やんわり伝えても
なかなか実母が改められないこと、
それでも強く伝えればへそを曲げるから
少しでも私の都合も考えて貰えるよう
上手に応じてきたことも、全て、
すぐ近くで子どもたちは見ていました。
今回の母からのメッセージに
実際に私が泣きそうな顔をしたのかは
わかりません。
その自覚はあまりありません。
我慢したつもりですが、
「泣きそう(笑)」と言われました。
「泣きそうでしょ。」
「いや、泣くよね、(笑)」
「お婆ちゃん、やばいね(笑)」
と、顔を見合わせる子どもたち。
こうなって、私は腹を立てたり
怒ったりはしません。
私がそうしないからだと思います。
そして、建設的な話を
したいと子どもたち全員が思いました。
が、何も浮かびませんでした。
実母を攻撃する言葉が
出てこなかったわけではありません。
私も子どもたちも、
それで何かが良い方にかわることは
無いとわかっています。
より強い言葉をぶつけたとしても
正しい主張をしたとしても、
実母は聞く耳をもたないし
受け止めないし受け入れないし、
私の悲しみも無くならないことを
子どもたちもわかっています。
「不甲斐ないね」
「お婆ちゃん...」
「このままコピペして返したら?(笑)」
「晒したら?(笑)」
なんて笑ってお喋りしました。
「お母さん、可哀想」
「でも、お婆ちゃんの方が
本当の意味で可哀想だよね...。」
「本当にわかってないんだね。」
「私が言ってあげようか?」
「僕が言ってあげようか?」
「お母さん、ハグしよ?」
こどもたちが、私の支えです。
私は、実の両親に
一生懸命育てて貰いました。
二人とも、一生懸命だったと思います。
それが毒だろうが
一生懸命ではありました。
結果、私は、
いつでも毒親になれる要素をもち、
いつも自分の毒と対峙しながら、
毒親の元で傷ついた
幼い私自身の影を抱き締めながら、
可愛い我が子や、
世の子どもたちに愛を注いでいます。
我が子に「毒親」だと言われたら
「そうだよね。ごめん。」と
言うだろうと思うほど
子どもたちにも正直に
私の胸の中をさらけ出しています。
未熟な人間が、
偉そうにあなたたちを育てているのだと。
私自身も母親としても人間としても
成長過程なのだと。
こどもたちが、
とても温かく支えてくれました。
前向きにさせてくれました。
私を母親にしてくれました。
「お母さんみたいなお母さん、
本当にいないよ。
ホント、お母さんで良かった。」
実母の物言いや色々な姿、態度を見て、
こう育てられた私に同情もしてくれました。
「お母さんが、
こうなってくれて本当に良かった。」
私は、「結局、この状況で、私がいかに
実母に優しくできるか、だよね。
それ以外に方法なんて思い付かないよ。」
と、子どもたちに
見守ってくれるよう頼みました。
かといって、
母のわがままや傲慢を通すわけではありません。
子育てと同じです。
こちらは、腹を立てる必要はなく、
毅然とした態度で、
思いやりをもって
相手の主張をしっかり聞きます。
違うのは、母の育ちや成長は
期待もしないし投げもしないというところです。
子どもは、導くことで
必ず到達します。
大人はどうでしょうか?
憂鬱です。
でも、これは私が人間として成長する
大切なハードル、壁なのだと思います。
きっと、乗り越えられるし
乗り越えるべきなのだと思います。