こちらの記事は11月6日に更新したものです。
やっと自分なりの納得のいく答えが見つかりましたので
今後はこの記事をもとに経過等を追記して報告していきたいと
思います。 追記は一番下に記載してあります。
( もしブログが無くなる事がありましたら 私自身の未熟さと受け取り下さい )
「 覚醒剤依存の苦しみは
その強烈な快楽の印象を 我慢するところにある 」
と 言われている
うん
だから 結局
襲ってくる虫(シャブの欲求)との闘いの連続なんだ
さてさて
この襲ってくる虫たちをどうしたものか‥。
断薬は 一般的には薬物治療
もしくは 自助グループの参加といった所だろう
薬物治療以外では 認知療法などの考え方の変容や
自己のセルフコントロール的なものや
ミーティング/セミナーによる問題の意識改革のどの
問題解決の取り組み‥ だろうか (間違っていたらスミマセンm(__)m)
何分 専門的なそういうものを受けたことがないのでわからないが
薬物療法以外は 結局 我慢 我慢 が付いてまわる
という事になってしまうだろうか
(薬物治療ももちろん我慢は付き物だと思います)
そう
この 我慢 我慢 我慢‥が
覚醒剤依存の大きな壁なのだ
虫が湧くたび その壁を乗り越えなければならない
たとえ 5年 10年と断薬をつづけてきても
何かの拍子に 魔が差してしまうこともあるかもしれない
依存に完治が無いというのは このことだ
私にしてみれば 虫が湧くというシャブの欲求がある限り
一生壁を 乗り越え続けなければいけないという現実
どこかで心が折れても当然だと思う 人間だから。
そもそも
この虫を乗り越えるという発想自体 間違いではないのか
陸上競技ではないが そのバーを超えれば 次の
更なる高いバーが‥
それを超えても超えても‥ キリがないというより
いつか限界にあたるだろう
現実的に言えば
我慢に精を出す シンドイだけの人生になってしまうのじゃないか?
虫の襲ってくる欲求の大きさというのは
それだけヤリタイという 身体のサインでもあるのだろう
我慢 我慢 の爆弾を抱えた断薬ではなく
ヤリタイという欲求‥ その執着を取り除けばいいのではないのか?
私が病院も自助グループも使わない理由は
まだ 覚醒剤に対し真正面から向き合える
余力があるからだが
(オレに限って言う)
オレに取っての覚醒剤依存は 病気ではなく
最終的な 究極の部分の 自己のワガママだと思っている
依存は病原菌やウイルスによるものではない
その証拠に 虫が湧いても
放っておいても死ぬ事はナイ
失神すらない もちろん 失禁もナイ。。
まァ 失笑ぐらいはあるかもしれないが ( ‥どうでもいいか><; )
だから 私にとっては 究極部分の
ワガママだし 覚醒剤は ただの濃ぃ印象や記憶に過ぎないのだ。
( 立ち向かえる今の現状ではね )
誰にでも好きで好きでたまらなく どうしようにも自分の心を
コントロールできなかった異性の一人や二人はいただろう
会いたくて会いたくて 胸が張り裂けそうな苦しい想いに駆られた事や
失恋で自分の心がコントロール出来なかった事があるだろ
自分の生活もメチャメチャになってしまう だがそれを 病気と呼べたか?
恋患い?(笑) 病気じゃねーよ!!
もし 恋患や失恋で安定剤でも処方されてみろ
一番輝くべき思い出が 一番思い出したくない事実になるだろ!(笑)
苦しいから その分 後で輝くんじゃねーのか
オレにとっては 恋愛も失恋もシャブもギャンブル依存も
その求心力(メカニズム)となったものは同じに思えたよ
それが 経験者の感想だよ
病気じゃない すべて ことは一緒だよ!
わかってるよ 世間で通じないぐらい‥
でも今までシンナーと重度のギャンブル依存を味わってきたが
熱が冷めれば何てことは無い
最終的な部分で やっぱり自分のワガママだったと思う
オレの中で 依存は精神的なものだから
気持ちの持ちようで解決出来るものと思っている
我慢ではなく 執着をすてる
完全に執着を捨てれば 自分の中に
虫という存在が無くなる もちろん 苦労して超えるべき壁もだ‥
すべてが終わりという訳だ
頭の中で 何かを作り上げていくのではない
手放す作業だ
スッキリ 簡単に考えていいのではないだろうか
昔味わった苦い失恋と 同じだよ
だが 失恋は時間が解決してくれただろうけど
次はワンステップ上の方法だ
恋愛の痛みのように 時間の流れがそれを癒してくれる
などと 悠長なことはできない
何故なら 癒しきる前に虫に追いつかれるからだ!
だから いつまでたってもスリップして前に進まず
振り出しへと戻されるのだ
執着をすてる
覚醒剤を忘れる ではナイ
大切な思い出として残しておけばいい
逆に残さないとダメだ! 味わった良さを受け入れて それを
克服(執着を無くす事)が出来なければ
出されるエサに‥ 直に釣られるだろう
執着の本当の意味がわかった者が 一抜けだ!
結局 我慢我慢で長い間シャブをやらないうちに
シャブの熱が冷めたという例にしても
結局は 執着が無くなった状態だ
だったら 逆から追えば早いという ものでもあるだろう
いかに気持ちの切り替る事が出来るか
その度合い‥ で
今すぐここで 完結の完全攻略となるだろう
依存ゲームの
『 GAME CLEAR 』 だ!
すべての苦しみからの解放―――
こんな苦しみ‥
もう 今 ここで終わらして いいんじゃねーのか
追伸:
執着を捨てるといっても 一朝一夕で
完全に出来るものでもありませんでしょう
もちろん我慢という行動も大切です。
ただ 虫の度合というのは 結局 執着度合の投影だと思います
また 我慢という行動も ヤメタイと言いながら ずっと離さず
(依存と)手を握っている状態とも 言える気が致します
だとすれば 何処まで行ってもシンドイのは当たり前です。
だから私は 断薬ではなく
執着を手放すという努力をしていきたいと思います。
( “断薬”という言葉すら ジャマです )
付け加えてお伝えしますが 我慢をするな!
では ありませんから。。
この内容は 私 イカレポン中 Latte-Latte。。の たわ言ですので
単なるイタ過ぎる自己満足に過ぎません。
その旨 ご理解ご了承の程 宜しくお願い致しますm(__)m
追記:~
2011-11-12
覚醒剤に対し執着を無くすという考えに辿りついて2週間が過ぎました
虫湧き(シャブの欲求)回数 まったくの 0回です!(^^)!
最近ある本でこんな一節と出会いました
「全曲は一瞬のうちにでき上がる。 あとはそれを楽譜に写すだけ」
天才作曲家モーツァルトの言葉です。 瞬間のヒラメキ大切にしたいものです。
2011-12-02
覚醒剤に対し執着を無くすという考えに辿りついて1ヶ月が過ぎました
薬などは使わず シャブの虫湧き回数は まったくの 0回です!(^^)!
私の18年の覚醒剤の過去を見ても1ヶ月間たったの1度もピクリとも
虫が湧かなかったのは初めての経験です。
また次回もよい報告が出来るよう精進してまいります<(_ _)>
2011-12-19
覚醒剤に対し執着を無くすという考えに辿りついて1ヶ月半が過ぎました
シャブの虫湧き回数 いまだ 0回です!(^^)!
凄く今‥ 平和です平和です♪ d(≧∀≦)b
次回の報告は年明けに予定しています。
今年の締めくくり‥ そして また新たな一年へと。。
良い報告が出来る事を楽しみにして 精進して参ります^^。
2012-01-02
皆様 明けまして おめでとうございます<(_ _)>
昨年の年末は 寝る間もないくらいに仕事で忙しくしておりましたが
無事に新しい年を向かへ また新たに良い報告です(^^)/
覚醒剤に対し執着を無くすという考えに辿りついて2ヶ月が過ぎましたが
シャブの虫湧き回数 いまだ 0回です!(^^)!
以前の私が虫が湧いたりシャブを買いに走ったりする8割は
アルコールが入っていた時のように思います。どうも私にとってはアルコールは
覚醒剤の扉を開けやすくしてくれる物のようです><; ‥が!?
アルコールの壁を越えなければ 本当の完全克服とは言えないと思い
最近は グビグビ‥ やっております!
ブッダの言葉の一節
『 何も存在しない 』と思う事によって 煩悩の激流を渡れ。
‥そんな言葉を念頭に置いて日々ガンバっています^^;
私の大好きな言葉です♪
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