イロトリドリノセカイ。 -2ページ目

イロトリドリノセカイ。

ありふれた日常は小さな奇跡で溢れている―。

いくあてのない想いが


ふわふわ、ふわふわ浮いたまま一年が過ぎた。


いくあてを見つけてしまったら、


それで終わってしまうような気がして


あえて考えないようにしていたこともある。



現実にかえれば、問題は山積していて


考え始めたらきりがない。



不透明で、何が真実なのかわからない問題ばかり。



向き合えば、向き合うほど怖かった。



出口のない迷路に迷い込んだ気分。



時が経てば癒える傷と


そうじゃない傷があることを知る。



TVで毎日のように繰り返される震災関係のニュースや特番もいつからか見れなくなった。




被災地各県の死者・行方不明者の数が書かれた新聞に目がとまる。


そこに書かれた数字はとても冷たく感じた。


誰しも、多い少ないでその数字を捉えてしまうけれど、それは違う気がした。




一年経った今、いろんな想いが溢れてしまって言葉にならない。


「言葉にならない」というより「わからない」という表現のほうが適切かもしれない。


何が正しくて、何がこんなに不安で、何に憤りを感じているのか・・・


この一年考え続けてきたけれど、もうわからない。


この想いを一言で言い表せたなら、どんなに楽だろう。


被災した人の分だけ想いはある。


もちろん、そうじゃない人にも。




2012年3月11日 午後2時46分


黙祷を捧げたあの1分間に


どれだけの人が想い、願っただろう。


この一年の意味が


あの一分間に込められていたように思う。




今まで当たり前だったことが当たり前じゃなくなり、


当たり前じゃなかったことが当たり前になる。




ただの一日は、実は尊い一日だった。




震災後、よく耳にする言葉がある。


「がんばろう」とか「絆」とか「希望」とか「ひとつに」とか。


私には、そんな言葉があまりにも軽薄で


陳腐に思えて仕方がなかった。



でも、今なら少し受け入れられそうな気がする。





3月に入り、あちらこちらに春の息吹を感じる。


どんな時も自然はゆっくりと前へ進む。



厳しい冬は、もう終わり。






一日も早く、たくさんの人に穏やかな春が訪れることを願ってやまない。







人が人を想い、祈るとき、

その祈りは果たして


本当に大事な人のことだけを想って


捧げているものだろうか。



祈りの裏側に


何か隠されてはいないだろうか。





傷つきたくない


辛い思いをしたくない




ヒトは


結局は自分を守りたい。





中学卒業と同時に地元を離れてしまった私は、中学の友達とはほとんどつき合いがありません。


でも、ひとりだけ、
連絡を取り合う友達がいます。

年に2回、お互いの誕生日に。


飾りっけのない独り言みたいな短いメール。
おもしろいのはそれが何日も続くのです。
メールの返事が遅くても、
内容が意味不明でも
お互い気を遣わないので
言いたいこと言い合うんです。


昨日が誕生日のその友達と
今もやりとりが進行中です。

実は毎年、密かに楽しみにしているのでした。



今日は立春。
あたたかな春は
もう、すぐそこまできています。

あなたの心にも
あたたかな春が訪れますように。