対として生きること
Twinray reborn kumi として
少しの間
魂の対について
書かせていただいていました
対の道というものは
誰しもが
全く同じということはありませんが
進む過程というものは
見えないものによって
既に
設計の成されたもの
そう感じています
お相手を手放され
対女性の皆様が
ご自身の資質を開いていく時
覚醒される時
信頼を置く
根源は同じであっても
女性それぞれに
現れる
形は異なってきます
その形は
恐らくほとんどの
女性たちにとって
ご自身が
想像していたものとは
全くかけ離れている
その事実に
驚かされ
動揺し
時に恐れで
自身を閉ざそうとされることが
あると思います
覚醒というものは
両手離しに
喜べるものであるとは
限らないのです
私にとって
この覚醒と呼ばれるものは
ひどく辛く
受け入れがたいものでありました
魂を知らしめられ
過去世に戻され
意識に向かわされ
御霊を知り
霊体というものを理解する
見えないものと
見えるものを
繋げるという
媒介者というものの
存在が
本当にあるものだ
ということを
私自身が知ること
そして
魂を鎮めることを
自分自身が
行っていくということが
痛みを伴うほどの
抵抗として在ったのは事実です
どんな形であっても
現れるものを
もう
受け止めざるを得ない
覚醒というものは
そういうものなのだと思います
だからと言って
今の私が
それに慣れたかというと
そんなことはありません
ようやく
少しずつ
話せるようになったくらいです
対に出逢う変化
その中でも
覚醒というものについて
ここでは
お話し出来たらと思っています
お相手の事については
にて書かせていただいています
覚醒に関して
そこにたどり着く過程
魂 意識 過去世 次元 霊体 御霊 神々など
その先を
ここでは
書かせていただきたいと思います
対として生まれ
対として生きる
それは
自分として生まれ
自分として生きる
その覚悟を問われることなのだと思います
Yasu & kumi
