すると、『愛沙(あいさ)か?』と驚いていたけれど、泣いて喜んでくれました。(私が住んでいる水戸市から筑波大病院までは、『土浦駅』まで『常磐線』に乗って、土浦駅からバスで30分ぐらいかかるので、まさか私がお見舞いに行くとは思っていなかったそうです。)それから、『ひたちなか総合病院』に転院してからもお見舞いに行ってました。その時のおじいさんは、笑っていたり、『歩くリハビリが出来た』と喜んでいたので、『もしかしたら、退院ももうすぐかなぁ』と密かに思っていました。ところが、2週間ぐらい前、急変して、上の血圧が100を切り、先生や看護師さんの手当てにより、助かったけれど、先生に『今度、こういうこと(急変)になったら覚悟(亡くなる)しておいて下さい』とお見舞いに行っていた父方の叔母さんは言われたそうです。(父親談)なので、亡くなる3日前(3月17日(火))にまたお見舞いに行って来ました。すると、入院した頃は4人部屋だったのが、個室になっていて、食事をしていたのが、沢山の点滴で栄養を摂っていて、声はかすれて、筑波大病院にお見舞いに行った時より更に痩せていました。それで、『電車で来たのか?』と聞かれたので、『そうだよ』と言うと、『だったら、皆が心配するから早く帰れ』と言われたので、『大丈夫だよ。勝田から水戸は1駅だし、今日はあったかいから』と言って、結局、2時間半ぐらい居ました。(これが、もしかしたら、最後のお見舞いになるかもしれないと思ったので。)それで、帰る時に『じゃあ、また来るね。元気でね』と言いました。(元気ではないから、入院しているのに。)すると、おじいさんは『はい』と言っていました。そして、3日後の3月20日(金)の午後10時01分に亡くなりました。83歳でした。『また来る』という約束が果たせないまま、逝ってしまいました。(今も倒れたり、過呼吸になったりするので。)でも、『力男(りきお)』という名前らしく、力いっぱい、一生懸命生きてくれました。昨日(3月24日(火))、父方の祖父のお葬式に行って来ました。祖父は2013年の夏頃から『肝臓癌』で、筑波大病院で『陽子線治療』などを受けていました。(因みに、抗癌剤は受けず、手術は、歳で出来なかったそうです。)それで、今年の2月3日に筑波大病院に(確か、4回目の入院)お見舞いに行きました。
すると、『愛沙(あいさ)か?』と驚いていたけれど、泣いて喜んでくれました。(私が住んでいる水戸市から筑波大病院までは、『土浦駅』まで『常磐線』に乗って、土浦駅からバスで30分ぐらいかかるので、まさか私がお見舞いに行くとは思っていなかったそうです。)それから、『ひたちなか総合病院』に転院してからもお見舞いに行ってました。その時のおじいさんは、笑っていたり、『歩くリハビリが出来た』と喜んでいたので、『もしかしたら、退院ももうすぐかなぁ』と密かに思っていました。ところが、2週間ぐらい前、急変して、上の血圧が100を切り、先生や看護師さんの手当てにより、助かったけれど、先生に『今度、こういうこと(急変)になったら覚悟(亡くなる)しておいて下さい』とお見舞いに行っていた父方の叔母さんは言われたそうです。(父親談)なので、亡くなる3日前(3月17日(火))にまたお見舞いに行って来ました。すると、入院した頃は4人部屋だったのが、個室になっていて、食事をしていたのが、沢山の点滴で栄養を摂っていて、声はかすれて、筑波大病院にお見舞いに行った時より更に痩せていました。それで、『電車で来たのか?』と聞かれたので、『そうだよ』と言うと、『だったら、皆が心配するから早く帰れ』と言われたので、『大丈夫だよ。勝田から水戸は1駅だし、今日はあったかいから』と言って、結局、2時間半ぐらい居ました。(これが、もしかしたら、最後のお見舞いになるかもしれないと思ったので。)それで、帰る時に『じゃあ、また来るね。元気でね』と言いました。(元気ではないから、入院しているのに。)すると、おじいさんは『はい』と言っていました。そして、3日後の3月20日(金)の午後10時01分に亡くなりました。83歳でした。『また来る』という約束が果たせないまま、逝ってしまいました。(今も倒れたり、過呼吸になったりするので。)でも、『力男(りきお)』という名前らしく、力いっぱい、一生懸命生きてくれました。
すると、『愛沙(あいさ)か?』と驚いていたけれど、泣いて喜んでくれました。(私が住んでいる水戸市から筑波大病院までは、『土浦駅』まで『常磐線』に乗って、土浦駅からバスで30分ぐらいかかるので、まさか私がお見舞いに行くとは思っていなかったそうです。)それから、『ひたちなか総合病院』に転院してからもお見舞いに行ってました。その時のおじいさんは、笑っていたり、『歩くリハビリが出来た』と喜んでいたので、『もしかしたら、退院ももうすぐかなぁ』と密かに思っていました。ところが、2週間ぐらい前、急変して、上の血圧が100を切り、先生や看護師さんの手当てにより、助かったけれど、先生に『今度、こういうこと(急変)になったら覚悟(亡くなる)しておいて下さい』とお見舞いに行っていた父方の叔母さんは言われたそうです。(父親談)なので、亡くなる3日前(3月17日(火))にまたお見舞いに行って来ました。すると、入院した頃は4人部屋だったのが、個室になっていて、食事をしていたのが、沢山の点滴で栄養を摂っていて、声はかすれて、筑波大病院にお見舞いに行った時より更に痩せていました。それで、『電車で来たのか?』と聞かれたので、『そうだよ』と言うと、『だったら、皆が心配するから早く帰れ』と言われたので、『大丈夫だよ。勝田から水戸は1駅だし、今日はあったかいから』と言って、結局、2時間半ぐらい居ました。(これが、もしかしたら、最後のお見舞いになるかもしれないと思ったので。)それで、帰る時に『じゃあ、また来るね。元気でね』と言いました。(元気ではないから、入院しているのに。)すると、おじいさんは『はい』と言っていました。そして、3日後の3月20日(金)の午後10時01分に亡くなりました。83歳でした。『また来る』という約束が果たせないまま、逝ってしまいました。(今も倒れたり、過呼吸になったりするので。)でも、『力男(りきお)』という名前らしく、力いっぱい、一生懸命生きてくれました。