新首相誕生に伴い、我が町もある意味観光名所となり、知らない人々が日々訪れています。実に自転車で動きづらくなった。上手く説明できないけど、アリの群れのように世の中は何かによって作り出された流れに翻弄されていくのですね。
連休初日、江戸を満喫するイベントを計画してみた。 (両国・月島)
大江戸博物館→相撲@国技館→もんじゃ@月島
意外に来ている大江戸博物館。何度目だ・・・。江戸と東京の歴史が盛りだくさんな博物館。外人が多かった。どんな関心を持っているのかインタビューしたかったな。
そのまま一年ぶりにお相撲に。相変わらず緩い・自由な空間だった。
幕内力士の名前があちらこちらからこだまし、ベロベロに酔ったお爺ちゃんが徘徊をし、お弟子さんらしき人が可愛くソフトクリーム片手に廊下のソファで老貴婦人と談笑をし、子供は走り回る。その環境下で力士は黙々と相撲を取り続ける。高見盛の人気は相変わらず。迫力も勿論満点。
ただ隣に座ったのが、横須賀在住のアメリカ親子。“あれはなんだぁ~、これはなんだぁ~”と千代大海のつっ張りばりの質問をされ、えらく疲弊した。結論としては、アメリカ人はWWEの方がやはり視覚により訴えるので好きであろうと感じた。親子二人はまわしの色で賭けばかりしていたw。
江戸っ子として、今も続く決して長くない東京の歴史の一連の流れの中に、自分を位置づけたいと常に考えてはいるものの、その歴史の山脈を自分は共有できていないように思う。それは日本全体の歴史やアイデンティティーにも同様のことが言えると考えている。留学中にアメリカ人や、ヨーロッパ・中東の国の人々に感じた羨ましさはそこにあった。彼らの中には、宗教的・政治的かという違いはあるが、それぞれの内面では歴史が共有されており、今生きている時代をその連なりに加えることが出来る。米の皆保険と社会主義の戦い、ヨーロッパの王政の意義など、多くの点でそのような要素が伺える。私の認識欠如が原因かもしれないが、日本にはその点が見えてこない。江戸~明治~戦前と戦後、高度経済成長のどこかの一部分で途切れてしまっているように個人的には考えている。日本人という意識はあるものの、それが何かを説明することは出来ず、つかめそうでつかめない雲のようにはかなく消えてしまう。ただ漠然としたアイデンティティーのみがある。
改めて身近にある江戸と触れて、「自分」=日本人とは誰か・何か?
そんなことを考えさせられてしまった今日この頃でした。