自由人は、国が自分に何をしてくれるかを問わない。自分が国に何ができるかも考えない。その代わり、自分の責任を果たすため、自分の目標を達成するため、そして何よりも自分の自由を守るために、「自分は、あるいは仲間は、政府という手段を使って何ができるか」を考える。また自由を守るためにつくったはずの政府が「自由を破壊する化物と化すのを防ぐにはどうしたらいいか」ということも考える。自由は、傷つきやすい高貴な花のようなものだ。―ミルトン・フリードマン
お祭り騒ぎだった参議院選挙からほぼ1週間。
私の一票は生かされ、支持した政党が改選第1党になった。
この点については、素直に喜ばせていただくが、
だからといって未だ政権は変わっておらず、
まだ「戦い」は終わっていない。
選挙があるとき、必ず私は自分自身が得をするような
政策を打ち出している人間もしくは政党に投票するようにしている。
「そんな自分のことしか考えないようなやつはダメだ!
この国について、この社会についてもっと大きな視点を持て!」という人が多々いるが
自分自身が幸せになれない国や社会ならば、私はいらないし、
そのような国や社会が幸せであるとは決して思えない。
そうした観点から、私は民主党という政党を結党当時から危険視している。
彼らは「子ども手当」「高校無償化」というカードで、
そうした制度によって恩恵を受けるであろう人々からの支持を得て、
政権の座にのぼり詰めた。
その結果、過去最高の一般会計総額をはじきだし、
国債発行額は44兆3030億円と過去最悪になった。
これが意味することは、必ず増税というかたちで
全く恩恵を被らない人たちにも跳ね返ってくるということである。
私のように、一生結婚もせず、子どもも産まず(作らず)、
生きていこうとする人間にとって、
結婚という選択をした人間のために
自らのお金を税金として
支払わなければならないというのはどういうことだろうか。
後世がいなければ、あなたは社会的に養われないのだから、
子どもを社会で育てるべきであり、
それが義務であるというのであれば、
その分配を適切にできる能力があるということを説明してほしい。
現在の年金制度のように、
強制徴収して自転車操業するというようなことであれば、
国に後世に対するお金を管理する能力があると安心していえない。
世界にはいろいろな考え方の国があるように、
ひとつの国の中にもいろいろな考えた方がある。
それは決して同じものになることはない。
同じものにしようとすれば、敵対する意見、
異なった意見を殺すことである。
「みんな一緒」や「みんなで協力」や
「みんな」という気持ち悪い見せかけの同意や安定よりも
一人ひとりが自らの利益から考え、
その意見を戦わせることに、
社会の活力のエネルギーはあるのだと考えている。
だからこそ私は、「民主」的な社会よりも、
「自由」で民主的な社会、すなわち、自由を冠した政党を支持するのである。