長谷川陽子さんのベートーヴェン、チェロソナタを聴きに、初めて白寿ホールに行きました。
こじんまりとした、しかし響きの豊かなホールで、長谷川さんのチェロがいっそう暖かく、伸びやかでした。
暖かくて、伸びやか――それがチェロという楽器の個性でしょう。長谷川さんの演奏は、いつ聴いてもこの特徴の最良、最美のものを表現しているのだと思います。
当夜に長谷川さんが奏でた、母の歌のような、あるいは大地の声のような、やさしくて、大きなスケールの音楽は、コロナ禍でトゲトゲしくなったこころを抱擁するようでした。音楽の起伏も豊かです。強い音は興奮を強いるだけではなかったし、弱い音の中にも豊かに音楽が生きづいていました。
長谷川さんの演奏を聴きながら、ぼくにはしばしばカザルスのチェロ――長谷川さんとは時代も違うし、そのベートヴェンの演奏には時折〝崩し〟すら入っているのですが――を思い浮かべたものです。
《5番》の終楽章のフーガは、当夜の白眉でしょう。整った美しさには、宇宙の秩序をさえ連想しました。そこにグイグイと引き込まれていく時、不安を抱えた小さな〝ぼく〟という存在は、大きなものの一部だというこを確信しました。
(栗城理一[ひまわり会員]・筆)