戦争と貧困を厭う人たちへのモスラ通信

戦争と貧困を厭う人たちへのモスラ通信

モラルを失った政治が、貧困や次なる戦争を生み出そうとしている。現実に流され、行きつく先が貧困だったり戦争だったりしたら? いまならまだ濁流の行き先を変えることができる。そのために、平和の守護神・モスラとなって、コラムを書いていきたい。

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  長谷川陽子さんのベートーヴェン、チェロソナタを聴きに、初めて白寿ホールに行きました。

 こじんまりとした、しかし響きの豊かなホールで、長谷川さんのチェロがいっそう暖かく、伸びやかでした。

 暖かくて、伸びやか――それがチェロという楽器の個性でしょう。長谷川さんの演奏は、いつ聴いてもこの特徴の最良、最美のものを表現しているのだと思います。

 

 当夜に長谷川さんが奏でた、母の歌のような、あるいは大地の声のような、やさしくて、大きなスケールの音楽は、コロナ禍でトゲトゲしくなったこころを抱擁するようでした。音楽の起伏も豊かです。強い音は興奮を強いるだけではなかったし、弱い音の中にも豊かに音楽が生きづいていました。

 長谷川さんの演奏を聴きながら、ぼくにはしばしばカザルスのチェロ――長谷川さんとは時代も違うし、そのベートヴェンの演奏には時折〝崩し〟すら入っているのですが――を思い浮かべたものです。

 

《5番》の終楽章のフーガは、当夜の白眉でしょう。整った美しさには、宇宙の秩序をさえ連想しました。そこにグイグイと引き込まれていく時、不安を抱えた小さな〝ぼく〟という存在は、大きなものの一部だというこを確信しました。

 

(栗城理一[ひまわり会員]・筆