昨年の年初に、73歳という年齢の1年を私の特別な年にしようと考えました。それは今は亡き母が私の社交ダンスのサークルのパーティに来てくれた時の年齢です。73歳の母は元気で、明るく、健康でした。

 

私達3人兄妹が結婚した時、母はまだ49歳。その時から母はベターホーム協会で料理を学び直し、高齢者の文化的な集いや、音楽、体操、社交ダンスのサークルなどに夫婦で参加を始め、第2の新婚生活を父と2人で送り始めたのです。

 

それは21年も続き、父がガンで亡くなった時、母は70歳でした。生まれて初めての一人暮らしを始めましたが、すっかり自由を満喫していて、同居しようという兄を待たせていました。

 

片や私は49歳で社交ダンスを始めたばかりでした。家から3分で行ける近所の会社の経理として働いていて、太るばかりで体力のない私でした。娘達からも運動を進められ、たどり着いたのが社交ダンスのサークルでした。

 

ラテンが好きだといっていた母。私は母を見て、73歳でもこんなに元気で幸せに暮らせるんだと、この年齢をしっかり記憶したのです。

 

そこで73歳になった昨年は心機一転、コロナ太りと運動機能の改善を目指し、1月からジムのスタジオに通い始め、毎日の食事をブログにアップして、食べる量を抑え、8月までに8キロ減量、その後はキープするという私にとっては偉業(笑)を成し遂げました。

 

それだけでも、充実した73歳だったのですが、これまでもアップしてきたように、46歳の次女、39歳に三女がトントン拍子に結婚の運びとなりました。遅すぎた春に周りはもろ手を挙げて賛成し、我家にとっては1年のうちに2人も結婚という、嬉しい驚きの私の73歳でした。

 

お正月には長女、次女、三女一家にお節を振る舞いました。暮れは準備に忙しく、元日、2日ともてなして、最後に三女夫婦が帰った後、お風呂に入ったら、涙がポロポロ出てきました。

 

次女と三女は家を出て独立して暮らしていましたから、結婚したと言っても特に何も変化はないと思っていましたが、でも、やっぱり娘が一人で暮らしているのと、2人で暮しているのとでは私の気持ちが違いました。深い深い安堵感に包まれたのです。

 

そして、結婚が決まってから、娘たちが私に本当に優しくなってきたことにも気付いていました。これまでは親とは一身同体で何の遠慮もなかったけれど、結婚するとなると親の懐から出て、外から客観的に親を見るようになったのかもしれません。

 

娘達からの感謝の気持ちを感じて、これまでの子育てに対する後悔や心配や悩みが体の隅々から、溶け出していくようでした。幸せな開放感を覚えながらシャワーを浴びました。

 

一方、自分と娘達だけの世界で暮してきた私に、今回の結婚で気付いたことがありました。長女のお婿さんのご両親はもう亡くなっていますが、次女と三女のお婿さんのご両親はどちらも長く連れ添われ、とても円満なのです。ご主人に守られてきたお母様、そして、定年まで働いてくださったご主人の経済力に、羨ましさを覚えた私がいたのです。

 

いいなあ・・・。

 

同時に、自分が他人を羨むという、そういう老後だけは送ってはならないと自戒しました。今で充分幸せなんだもの。

 

さあ、母親業を卒業した74歳の今年はどんな年にしようかな?盛りだくさんな希望にまだ目標を決めかねている私です。

 

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