先週金曜日に韓国ドラマ「大王世宗」が終わった。なんと全86回!長かった・・・。毎週月曜日から金曜日まで5日間の放送だったから、17週と2回。つまり約4ヶ月、週5で見続けていたことになる。

 

韓国の歴史ドラマは驚くほど長い。ある陰謀があって、それが長い間かかって解き明かされ、解決する。普通なら、それでジ・エンドになるのだが、それからまた更に新しい事件が起きる。主人公の国王が幼い時から成人して、結婚して、子供が出来て、孫ができて、年を取るまで、延々と続く。

 

観ている方が長く感じるのだから、出演していた役者さんたちは、その役になり切ってしまって、クランクアップしてもすぐには日常の自分に戻れないのでは、と余計な心配をしてしまう。(笑)

 

このドラマは如何に王となる道は大変かをよく描いている。「民のために身を捧げる」というのが王の立場。しかし、王に使える官吏たちは、勢力争いをしたり、既得権を守るための画策をしたり、更には王に反抗して、違う王族を王に迎えようとするものまででてくる。

 

その企みがバレてしまっても、大王世宗は首謀者を簡単に殺したりはしない。これまでに尽くしてきてくれたこと、又その才能を惜しむ、心の寛い国王である。後に復職させたりすることで、再び謀反を起こされてしまい、苦労してしまうこともある。

 

また、建国の歴史が浅い小国であるがゆえに、発展を妨げようとする明からの圧力が強く、苦労が絶えない。朝鮮独自の天文学や、降雨量測定器、時間を知らせる自撃漏を制作するには、明には勿論、国内でも秘密裡にやらないとならない。

 

そして明の報復を恐れて反対する臣下を押し切り、遂に後のハングル文字となる「訓民正音」を完成させるという偉業をなした大王世宗。いまでも国民的英雄として讃えられているそうだ。さすがに見ごたえがあった。

 

この時間帯の韓国ドラマは字幕で、吹替はない。韓国語は全くわからないので、字幕を目で追うより仕方なく、目が離せない。だから大抵は昼食をとりながら録画を観ている。(コマーシャルが異常に多くて長いので。)

 

時間が惜しいなと思うけれど、やっぱり見始めるとやめられない。ようやく先週終わってホッとしたら、今日は手持無沙汰だった。やっぱり今日から始まった「イ・サン」を見ようかな。また長そうだけど。

 

そして日曜日は「麒麟がくる」の最終回だった。

 

始めの頃、私は韓国の豪華な歴史ドラマと比べて、「麒麟がくる」のセットや兵士の人数、衣装などが貧弱に見えて仕方なかった。戦闘シーンも韓国兵のアクロバティックな動きに比べると、日本の方は馬にまたがり、剣を振り下ろしているだけに見えて臨場感が少なく感じた。

 

また、長谷川博已、堺正章、坂東玉三郎、佐々木蔵之介、また脇を固める上手い俳優さんもいたけれど、違和感を感じる配役も多かった。

 

まず驚いたのが、同じNHKのドラマ「聖★おにいさん」では穏やかで温厚な仏陀の役をしている染谷将太が、荒々しい織田信長を演じていたこと。仏陀のイメージと可愛すぎる顔立ちの信長は、私にとっては違和感満載だった。

 

更に、将軍足利義昭を演じている滝藤賢一が、同時期の民放の「極主夫道」で、ふざけた金髪ヤクザのクレープ屋として出演しているのも、ちょっとなあ、と思った。(笑)

 

また、徳川家康役の風間俊介も、若すぎて頼りない気がしたし(当時民放で警察のドラマにでていた)、菊丸役の岡村隆司も「何で大河ドラマに?チコちゃんのコネ?」と思ったし、小柄で子供っぽい門脇麦演じるが、なんであんなに存在感がありエラそうなの設定なのか?と納得できなかった。

 

そもそも歴史に弱い私は、明智光秀織田信長を倒した事実は知っていたが、その理由は知らなかった。このドラマの解釈が正しいのか、どうかはわからないが、回を追うに従い、徐々に信長が残酷な支配者に変貌して来て、常識ある光秀がまるでパワハラ上司に追い詰められるような展開となってきた。これは私にもわかりやすい。

 

おのれ、信長、いい加減にしろ!光秀、頑張れ!とばかりに応援に熱が入ってきた。

 

信長を演じる染谷将太のぎょろりとした狂気をのぞかせた目つき、主役の長谷川博已の年齢相応の貫禄ある立ち居振る舞い、戦に敗れた心もとない将軍足利義昭の世を諦めたような影の薄いひょろりとした風貌、光秀に寄り添う家康の心を許した優し気な表情、最後の方は少しふっくらしてきて、それなりの貫禄が出てきた、など、それぞれの配役が適役に感じられてきた。(菊丸だけは、やっぱりチコちゃんのおかげなのかな、という気持ちが最後まであったが。)

 

最後はあっけなくてちょっと気が抜けた。信長が鎧も付けないまま、敵が矢を放つ庭に向かって立っているシーンは見せ場を作るためだったのか?人間は殺されそうになると、本能的に何とか逃れようと必死に考えるのではないか?まして、野望がまだ一杯の信長である。「光秀に殺されるのならしかたないよ」とそんな気持ちにとっさに慣れる筈がない。

 

また襲撃した時から、信に勝ち目はなく、明らかに光秀が勝つような設定だったが、信長が、敵の急襲も考えず、少数の兵しか連れないでいることがあるのだろうか?あまりにあっけない最期だった。

 

最後になって、さて、「麒麟がくる」というタイトルは内容にふさわしかったのか、と疑問に思った。本当に麒麟が来たと言えるのか?それは光秀が天下を治めてこそのタイトルではないのか?その後あっけなく秀吉に倒されてしまっては腑に落ちない。

 

「麒麟がくる」ことを目指していたのかもしれないが、それなら「麒麟よ、来い」の方がふさわしいような。(笑)これではタイトルとしてのインパクトが落ちてしまうけど。

 

あれこれ突っ込みながらも、先週まではドキドキしながら楽しませてもらった。

 

ただ、歴史小説は、見方によれば善悪の立場を全く変えて書くことができるのだろうが、これだけ織田信長を悪く描かれたら、私が子孫だったら辛いな。子孫の方にはお気の毒だなと思った。

 

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